落合博満氏、25歳でプロ入り後の活躍は「七不思議の一つ」 社会人からプロへ必要な要素

[ 2022年9月28日 17:10 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が28日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。社会人・東芝府中時代の思い出などを語った。

 東洋大学をすぐに中退し、故郷の秋田に戻って、兄がボウリング場の支配人をやっていたことからボウリングにのめりこんだ。20歳を機に秋田工時代の恩師に相談し、1974年1月に東芝府中に入社した。1978年のドラフトでロッテから3位指名され、入団するまで、社会人を4年以上経験した。

 「電力システム制御部電力配電盤課」に配属され、「仕事は朝の8時10分から(夕方)5時までやって、それからの練習だった」と落合氏。「今は会社行かないで野球の練習だけ、あとは試合だけっていうところが多くなってるんじゃないのかな」とした上で、それでも都市対抗野球には、3度出場。入社3年目の1976年、東芝府中は総部23年目で都市対抗に初出場。1回戦はデュプロに5─1で勝利。2回戦は愛媛相互銀行に0─2で敗れた。77年は日本通運の補強選手、78年は電電東京の補強選手で出場した。社会人最高峰の大会でもあり「やっぱ出てみなきゃ、肌で感じてみなきゃ、分からない。当時はスポニチ大会と都市対抗と日本選手権、この3つが3大タイトルだった」と懐かしそうに振り返った。

 高校、大学でドラフト指名されない選手にとって、受け皿としても社会人野球の果たす意義は大きい。落合氏のように25歳でプロ入りする選手はいる。「俺はプロなんて諦めてた人間が、ひょこっと入って、いまだに野球界で飯を食ってるっていうのは、七不思議の一つじゃないのかな」と謙遜しながらも、社会人選手がプロ入りするために必要なことを問われると「速い球を投げられる、遠くにボールを飛ばせる、足が速い。この3つがプロで注目するところ。だから自分に何が1番、特長があるのかっていうところを見極めて、そこを一生懸命練習するっていうのが、1番プロに入る近道なのかなとは思う」と語った。

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2022年9月28日のニュース