【内田雅也の追球】なぜ阪神次期監督は岡田氏だったのか 強まる阪急の影響力、球団案から方針転換

[ 2022年9月28日 08:00 ]

06年、経営統合の会見を終え、握手する阪急HD・角社長(左)と阪神電鉄・坂井社長

 【内田雅也の追球 解説・特別版】阪神の新監督が岡田彰布氏(64)に内定したのは今月16日である。阪神・藤原崇起オーナー(70=阪神電鉄会長)が阪急阪神ホールディングス(HD)会長兼グループ最高経営責任者(CEO)の角和夫氏(73=阪急電鉄会長)を訪ね、岡田新監督で一致をみたのだった。

 22日には百北幸司球団社長(61=阪神電鉄取締役)ら球団幹部が大阪市内で内々に岡田氏と面談し、監督就任を要請、内諾を得ていた。

 ただ、阪神球団内部で新監督に定めていたのは平田勝男2軍監督(63)の昇格だった。6月15日、阪急阪神HD株主総会で株主から質問もあった次期監督像について、谷本修オーナー代行(58=阪神電鉄取締役)が記者団に語った「育成主体で生え抜き中心のチームづくりをできる人」は平田新監督を念頭に置いていた。

 1月31日のキャンプイン前日、矢野燿大監督(53)が今季限りでの退任を表明する異例の事態。球団内部では矢野監督下で進めた育成路線の継承から内部昇格で固め、文書化していた。

 ところが、球団から再三の上申を受けながら、球団トップの藤原氏はなかなか最終決断を下さなかった。球団にとっては親会社の親会社、阪急の影響力が強まっていたのだ。早大後輩でもある岡田氏の監督就任を望むと伝わる角氏を説得する自信がなかったのだろう。

 角氏と岡田氏は5月上旬、西宮カントリークラブでプレーし、夕食をともにした。席上、角氏は岡田氏に明言はしないまでも、今秋の監督就任をにおわせる言動があったことが分かっている。

 ようやく重い腰を上げた藤原氏だが、16日の角氏との会談では平田新監督の球団案を取り下げ、岡田新監督の阪急案でおさまった。平田新監督で構想を固めていた球団も方針転換を強いられ、岡田氏への要請に動いた。

 タイガースの監督は阪神電鉄が決める――という伝統球団のあるべき図式が壊れたわけである。

 阪神電鉄と阪急阪神HDの間には「球団の経営は阪神電鉄が行う」との内部文書が存在する。HDは球団経営に手を出さないとの合意書だ。2006年10月のHD発足時、社長だった角氏の署名捺印もある。

 前年から通称・村上ファンドによる大量株式取得、買収攻勢を受け、阪神電鉄はホワイトナイトとして阪急と経営統合、完全子会社となった。

 当時、日本野球機構(NPB)・12球団は親会社変更で新規参入にあたるとして阪神に10年間の預かり保証金25億円、野球振興協力金4億円、手数料1億円の計30億円を納入するよう求めていた。阪神は「経営主体は変わらない」と主張し、手数料を除く29億円の支払いを減免された。その証明にとった文書だった。さらに阪急が88年、ブレーブス球団を売却した経緯もあり、球団の永続保有を誓約した文書もNPBに提出している。

 コミッショナーだった根来泰周氏(故人)は東京高検検事長などを歴任した法律の専門家でもあり「支配権は(HDに)移ったが、経営権は従来通り」と理解を示した。06年10月12日には角氏と会談している。

 この経緯からすれば、HDの監督人事への影響力は球団経営への介入と問題視する声があるかもしれない。だが、阪急系のあるHD役員は「球団経営に手を出したわけではない。阪神が忖度(そんたく)したまでだ」と話した。確かに、阪神は圧力を感じていただろうが、角氏やHD幹部が球団に監督人事で正式に指示や要望を出してはいない。むろん球団役員会の議事録にもない。隠然とした支配の結果だった。

 過去にも角氏の意向を阪神が忖度した例はある。14年9月23日、和田豊監督が「結果が出なければ辞任」を申し出た際、球団は「2位なら続投」(3位なら岡田新監督)と条件付きで推移を見守り、最終戦で2位となり留任となった。

 15年オフの金本知憲監督就任時も岡田氏の名前が浮かんでいた。当時の南信男球団顧問、四藤慶一郎球団社長が「時計の針を戻さない」と金本氏要請に踏み切っていた。

 18年10月11日、金本監督が辞任した際、球団は金本続投で動いていた。揚塩健治球団社長が金本監督に辞任勧告した前夜、谷本球団副社長(当時)は宮崎で矢野2軍監督に1軍ヘッドコーチ就任を要請していた。球団を無視し、阪神本社上層部がHD上層部の意向をくんだわけで、金本監督は事実上の解任だった。

 両社は戦前から同じ大阪―神戸間に電車を走らせる私鉄のライバルで阪神は「阪急には負けるな」が合言葉だった。統合から16年。すでに阪急、阪神間では役員の相互交流もあり、新入社員は18年からHDで一括採用されている。阪急も阪神もない一体化が進む。

 歴史的に阪神の新監督問題では球団案をオーナーら本社がはねつけてきた前例がいくらもある。時に権力者の横暴はお家騒動を呼んだ。現在は本社の上にHDと問題は複雑化している。

 フロントとはもともと戦場での前線基地を意味する。重要案件はその基地(球団事務所)がある甲子園ではなく、電鉄本社のある大阪・野田(かつては梅田)で決められた。「奥の院」と呼ばれた。今は「奥の奥」に中枢があり、前線の声は届きづらくなった。

 経緯はともあれ岡田新監督には期待する。08年10月の監督辞任から14年。あの優れた野球頭脳、勝負勘を放っておくのは損失とみていた。11月で65歳。今回が監督復帰最後の機会だったろう。

 既にコーチ陣編成にも着手しており、若手指導者の育成も望まれる。そして何より自身が胴上げされた05年以来途絶えている優勝が待たれる。野球人生の総決算としての大勝負を楽しみにしている。 (編集委員)

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