神戸から大阪・舞洲へ 17年2軍施設移転が逆襲の原点に オリックスの思いは紡がれる

[ 2021年10月28日 09:00 ]

オリックス優勝緊急連載「不屈の四半世紀(上)」

10月13日、ロッテ戦の9回、2ランを放った杉本(99)を出迎える中嶋監督(右から2人目)らオリックスナイン(撮影・北條 貴史)
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 神戸から大阪へ――。四半世紀の“旅”が結実した。オリックスが25年ぶりにつかんだ栄冠までの道のりを3回で振り返る。

 逆襲は、大阪・舞洲から始まった。昨年8月。2軍監督から監督代行就任が決まった中嶋監督は選手寮「青濤館」の風呂で「一緒にいくぞ」と杉本に声を掛けた。1軍へ連れ立った新4番は史上最低位のドラフト10位から本塁打王確実となり、まさに下克上Vを象徴する存在となった。大ブレークした宮城と紅林の同期コンビを見いだしたのも新拠点だった。

 「必ずイチローに続く選手が生まれてほしい」。宮内義彦オーナーの願いだ。17年3月、2軍施設を神戸から大阪・舞洲に移転した。球場や選手寮、室内練習場など総工費約30億円で建設。イチローらが育った「青濤館」の名称を引き継ぎ、正面玄関には当時のプレートを飾った。

 オリックスは91年から神戸市を本拠地とし、近鉄と合併後も05~07年まではダブルフランチャイズ制。08年から大阪市に一本化した後も2軍は神戸に残り“ねじれ”が続いた。それが解消された。

 京セラドームから車で約15分。24時間稼働の室内練習場は寮生だけでなく、本拠地ナイターを終えた1軍選手も練習でき、1、2軍のスムーズな選手入れ替えも可能となった。

 阪神淡路大震災が起きた95年は「がんばろうKOBE」を合言葉に故仰木彬監督の下でリーグ優勝を果たした。復興を目指す被災者らに勇気と希望を与え、翌96年の連覇&日本一。神戸を離れても、“思い”は消えない。1月17日の追悼行事は継続し黙とうをささげ、当時の復刻ユニホームを着用する企画も続く。福良淳一GMは「場所は関係ない。神戸の人たちと気持ちは一緒」と言った。思いは紡がれ、新しい伝統が築かれている。(湯澤 涼)

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