オリックス・中嶋監督 「仰木マジック」で1年目に美酒 重み実感「いつでも辞められる。しんどすぎる」

[ 2021年10月28日 05:30 ]

オリックス 25年ぶりパ・リーグ制覇

ナインに胴上げされる中嶋監督(撮影・北條 貴史)
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 歓喜の時は訪れた。ロッテが楽天に敗れる様子が場内ビジョンに映し出され、一斉にベンチを飛び出した。オリックス・中嶋監督は無観客の本拠地・京セラドームで3度宙に舞った。

 「2年連続最下位からのスタート。どうにか変えようと。“何言ってんだコイツと思われても、絶対にトップを獲ろうと思った」

 正捕手だった96年以来の頂点へ就任初年度で導いた。にじみ出たのは当時監督だった仰木彬さんの遺伝子だ。

 「本当に厳しい人ですよ。特にオレには厳しかった。嫌われていると思っていた。1回聞いてみたかったが、亡くなられてね…。見返すという言い方も違うし、答えられないよ。それ以上は聞くなよ」

 褒められた記憶はなくてもイズムは染みついた。25年前を知る田口外野守備走塁コーチは「中嶋監督がだんだん仰木監督に見えてこないこともない」と言った。当時を知る複数の球団関係者も「仰木さんの野球に似ている」と口をそろえた。

 打順は143試合で130通りと恩師譲りの猫の目打線。休養を目的に1、2軍を頻繁に入れ替えて、投手の登録抹消延べ60人はリーグ最多だ。救援投手の3日連続登板は12球団で唯一なく、50試合以上登板は富山(51試合)だけ。データに直感を加えた「仰木マジック」のようだった。

 闘将に徹した。過去20年でAクラスは2度だけ。「こいつらを勝たせてやりたい」。2年連続最下位からの挑戦者として先発ローテーションから故障者に関することまで情報管理。冗談好きでユニークな性格を封印し、報道陣に「何で言わなアカンの」と何度も厳しい表情で迫ったのは勝利への執念だった。

 忍耐を貫いた。「失敗は誰でもある。取り返そうとする姿が必要。我慢ならナンボでもする」。慰めの言葉はかけない。背中で思いを伝えた。開幕遊撃に抜てきした19歳の紅林は打撃不振に拙守が重なっても、辛抱強く起用し続け、定位置が似合う男にさせた。

 気丈だった。バッグには電気治療器具を忍ばせ、敗戦の夜は「自分に腹が立つ」と寝付けず、夢でも起用法を熟考した。「下町のナポレオン」の愛称で知られる麦焼酎「いいちこ」のウィルキンソン赤の炭酸割りを毎晩あおり、心を潤した。「いつでも辞められるわ、しんどすぎる。(歴代の監督は)凄い。こんな大変な仕事、何年もやるもんやない」。冗談交じりの言葉に重みがあった。

 3月26日の開幕戦前、選手たちに語りかけた。「オレには見えている。ここからリーグ優勝、CS、そして日本一が」。長く低迷した古巣を、わずか1年で立て直し、確かに輝かせた。(湯澤 涼)

 ◇中嶋 聡(なかじま・さとし)1969年(昭44)3月27日生まれ、秋田県出身の52歳。鷹巣農林高から86年ドラフト3位で阪急入り。正捕手として95、96年のリーグ連覇に貢献。西武、横浜(現DeNA)日本ハムを経て15年限りで引退。1軍通算1550試合で804安打、55本塁打、349打点。日本ハムのコーチなどを経て19年にオリックス2軍監督就任。20年8月21日から1軍で監督代行を務め、シーズン後に監督就任。1メートル82、84キロ。右投げ右打ち。

 《引退の西浦にも感謝》中嶋監督は会見で西浦について問われ、「才能を持った選手が野球ができなくなる。そういう悔しさを選手みんながかみしめてくれた。何で…と悲観していたが、西浦が元気に変えてくれた」とうなずいた。俊足の外野手として期待されながら、股関節が壊死する難病のため22歳の若さで今季限りでの引退を決意。9月26日の楽天戦では試合前の円陣に参加し、「優勝してください」と呼びかけた。引退発表は同24日で翌日から8連勝。確かに目に見えない力を与えた。

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2021年10月28日のニュース