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オリックス・バファローズ「初代監督」仰木彬さんは心を砕き、知恵を絞り、命を削って礎を築いた

[ 2021年10月28日 08:30 ]

入社30年の横田本部長補佐が知る仰木彬さん最後の1年

05年、病身にムチ打って新生オリックスを率いた仰木監督

 96年の優勝から25年がたった。「95年に神戸で胴上げできなかったことや、96年にイチローがサヨナラ安打を打って神戸で胴上げして、神戸で日本一にもなって…。その辺を鮮明に覚えているから、そんなにたっているとは思えない」。横田昭作球団本部長補佐兼国際渉外部長(60)はそう言って笑った。

 入社30年目のフロントマンはオリックスの全盛期、低迷期、そして今を知る。04年に近鉄と球団合併。楽天との分配ドラフトを経て現在の「オリックス・バファローズ」が誕生した。その初代監督にはかつて近鉄、オリックスを率いた仰木彬氏が就任。肺がんに侵された病身にムチ打ってグラウンドに立った名将は合併球団を率いる上で、心を砕き、知恵を絞り、命を削った。

 その姿を間近で目の当たりにした一人だ。当時も運営部課長でチームに同行。「合併したから一気に戦力が整って、強力なチームができるという考えは持っていなかったと思う。いろんな人に気を遣いながら、試行錯誤しておられた」と述懐する。そして日々、衰弱していく様子に心を痛めた。7月の仙台遠征時に体調を崩した際は「最初はただの風邪かなと思っていたけど、いろいろ再発していて転移していたと。後から聞いた話ですけど…」。指揮官から「常に横におってくれ。何かあったら言うから」と頼まれ、近侍して支えた。

 合併初年度はCS争いを演じながら結果的に4位に沈んだ。「本来なら自分が先頭に立ってチームを引っ張っていかないといけないのに、体力的なことでできなかったのは申し訳ない」――。シーズン最終戦の西武戦前、東京・立川のチーム宿舎で全選手を前に絞り出した名将の言葉が、今も脳裏に残る。

 07年に初めて楽天の後じんを拝し、13年にはリーグ優勝、日本一の先を越された。昨季までの16シーズンでAクラスはわずか2度。だが、その日々があるから今がある。仰木監督がやり残した「仕事」を、現役時代に名将の下で鍛えられた中嶋監督が果たした。「思いもつかないようなことをするから見ていて楽しいね」と横田本部長補佐。この優勝も、鮮明な思い出となる。

 ▽仰木彬氏とオリックス 現役時代は西鉄(現西武)で1954年から67年まで二塁手として活躍。88~92年は近鉄監督で89年リーグ優勝。オリックスでは94年から指揮。イチローを発掘するなど「仰木マジック」と呼ばれた手腕を発揮。95年リーグ優勝、96年は日本一に輝いた。01年退任。04年、近鉄との球団合併にともない新生オリックスの初代監督に就任し、体調不良で05年勇退。球団シニア・アドバイザーに就任したばかりの12月15日、肺がんのため70歳で死去。監督通算1856試合で988勝815敗53分け、勝率.548。オリックスでは1206試合、625勝551敗30分け、勝率.531。

 ▽04年球界再編問題と楽天の新規参入 04年6月、近鉄とオリックスの合併構想を発端に球界再編問題が表面化。楽天の三木谷浩史氏と、近鉄買収に名乗りを上げていたライブドアの堀江貴文氏がパ・リーグへの新規参入を表明した。11月2日のオーナー会議および実行委員会で宮城県に本拠地を置く新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」の新規参入を承認。2リーグ12球団制が維持されることとなった。オリックスは「オリックス・バファローズ」と改称し、11月8日に2球団による分配ドラフトを実施。107人が対象選手となり、選手の優先保有権を持つオリックスが先に25人を指名。その後は楽天、オリックスの順に20人ずつが指名され、指名されなかった22選手がオリックスに残留となった。

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