藤子不二雄Aさん「お別れの会」 永井豪さんら出席「もうお会いできないのが本当につらい」

[ 2022年10月31日 12:30 ]

<藤子不二雄A お別れの会> 藤子不二雄Aさんの遺影
Photo By スポニチ

 「オバケのQ太郎」「怪物くん」などの作品で知られ、今年4月7日に88歳で死去した日本を代表する漫画家の藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・えー、本名安孫子素雄=あびこ・もとお)さんの「お別れの会」が31日、東京都内で行われる。会の前に親交のあった漫画家の永井豪さん、俳優の石坂浩二、タレントの中川翔子が対応した。

 永井さんは漫画家仲間のゴルフ会「イージー会」で一緒にラウンドするようになってから、親交を深めた。「ゴルフとお酒でご一緒するようになった。あんないい先輩いない。もうお会いできないのが本当につらい。(飲むときは)自分がヘトヘトになって帰ろうとしても“次、銀座行くぞー”と。歩くスピードがハンパなく速く、ついていくのが大変だった」と思い出を振り返った。

 藤子不二雄Aさんは小学5年時に生まれ故郷の富山県氷見市から同県高岡市に引っ越し、クラスメートの藤子・F・不二雄(本名藤本弘)さん(96年死去)と出会った。ともに手塚治虫さんに憧れて漫画家を志し、高校時代の1951年に毎日小学生新聞の連載「天使の玉ちゃん」でデビューした。

 52年に富山新聞社に入社も、藤子・Fさんに漫画家の道に誘われ上京。多くの漫画家が住んだ東京都豊島区のトキワ荘に住み、仲間と漫画づくりに没頭した。64年に週刊少年サンデーで連載が始まった共作「オバケのQ太郎」が大ヒット。初めてアニメ化もされた。共作はこれが最後で、藤子Aさんは「忍者ハットリくん」「怪物くん」、藤子・Fさんは「ドラえもん」「パーマン」などの作品を生み出した。

 70代後半まで大病の経験はなかったが、12年に大腸がん、13年に腸閉塞を患うなど、晩年は病魔と闘った。80歳を過ぎても連載を続けたが、15年に心不全を患って以降は漫画を描いていなかった。

続きを表示

この記事のフォト

2022年10月31日のニュース