小平の原動力「五輪を夢見させてくれた地元に恩返し」、台風被害の長野市でボランティア

[ 2022年2月14日 05:30 ]

北京五輪第10日 スピードスケート女子500メートル ( 2022年2月13日    国家スピードスケート館 )

りんご狩りする小平奈緒

 18年平昌五輪後、小平は重圧に苦しんだ。“金メダリスト”の肩書がのしかかり、氷上だけでなく日常生活でも周囲の目が気になった。「小平奈緒を演じないといけない」。笑顔は減り、殻に閉じこもった。転機は20年3月。前年の台風19号で深刻な被害を受けた長野市の災害ボランティアへの参加だった。

 募集を知り、自ら応募。1人で現場に駆け付けた。練習拠点から千曲川の堤防決壊現場までは約6キロ。防じんゴーグルとマスクを着け、住宅から廃棄物を取り除いた。これを機にボランティアを継続。家から泥をかき出す作業や、リンゴ畑の整備も経験した。現場では泥まみれの98年長野五輪の新聞の切り抜きを目にしたこともある。被災者の話に耳を傾け、地元の方々から応援されていることも実感。滑る意味を考える時間にもなった。

 「地域の皆さんとつながりを持つ中で自分を変えることができた。“金メダリストらしくしなきゃ”と考え込み、壁をつくった時期もあったけど、その壁を壊す時間を過ごせた」

 20~21年は台風被害を受けた長野県のリンゴ農家を勇気づけるため、リンゴ模様の赤いユニホームを着用。リンゴ農家を営む田中英男さん(83)が「感動した!」と反応した。水害で家が全壊し、19年の収入はほぼゼロ。それでも20年は再びリンゴが実り「小平さんに食べてほしい」と面識のない小平にリンゴ10キロを贈った。小平は知人のつてで田中さん宅を探してサプライズ訪問。収穫時期で留守だったため、はがきに直筆メッセージを書き感謝を伝えた。

 20年10月、小平はリンゴ狩りに出掛けた。股関節痛もあり、調子を落としていた時期。災害からわずか1年後に、たわわに実をつけたリンゴの木から生命力を感じ、復活を誓った。五輪を夢見たきっかけは、小学5年時に開催された98年長野五輪。「五輪を夢見させてくれた地元に恩返しがしたい」。地元への思いが、4大会連続五輪出場への原動力だった。

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