元関脇・麒麟児死去 富士桜と108発伝説突っ張り合い演じた「花のニッパチ組」67歳多臓器不全

[ 2021年4月14日 05:30 ]

79年春場所8日目、立ち合い、輪島(左)を突っ張りで圧倒する麒麟児
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 激しい突っ張りで人気を集めた大相撲の元関脇・麒麟児の垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが3月1日、多臓器不全のため自宅で死去した。日本相撲協会が13日、発表した。67歳。千葉県出身。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。三賞11回、金星6個を獲得するなど「花のニッパチ組」として活躍。引退後は年寄「北陣」を取得し後進の指導にあたったが、15年に頭部の腫瘍摘出手術を受けた後は体調を崩していた。かつての弟弟子、富士ケ根親方(元小結・大善)が哀悼の意を寄稿した。

 優勝には手が届かなかったが、長く幕内で活躍した昭和の名力士が天国へ旅立った。

 相撲協会関係者によると、元々、糖尿病と腎臓を患っていた垂沢さんは2015年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調を悪化させていた。18年に定年退職したが最近は協会関係者と接触する機会は減り、3月1日に帰らぬ人となった。遺族は春場所を迎える時期も考慮し、四十九日の法要を迎えるまで公にすることを控えたという。

 垂沢さんは中学2年のときに力士になることを志し、元大関・佐賀ノ花が師匠の二所ノ関部屋に入門した。67年夏場所に初土俵を踏み、74年秋場所新入幕。激しい突っ張りを武器に、88年秋場所限りで引退するまで幕内を84場所も務め、三賞は11回、金星も6個を獲得した。

 北の湖や2代目若乃花(ともに元横綱)、金城、大錦らと同じ昭和28年世代生まれで「花のニッパチ組」の一人として人気を誇った。特に同じ突っ張りを得意とする富士桜とは毎回好勝負を展開。26回対戦では19勝7敗だったが、天覧相撲だった75年夏場所8日目の対戦では、計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いの応酬で、昭和天皇が身を乗り出して観戦されたという逸話を残した。喜怒哀楽の感情を出す力士が少なかった時代に、土俵の上では悔しさを露骨に出す個性派だった。

 88年秋場所を最後に35歳で現役引退。北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

 ◆垂沢 和春(たるさわ・かずはる=大相撲の元関脇・麒麟児、先代北陣親方)1953年(昭28)3月9日生まれ、千葉県柏市出身。67年夏場所で初土俵を踏む。74年秋場所の新入幕から7場所連続で勝ち越し。88年秋場所限りで引退するまで幕内を84場所務め最高位は関脇。殊勲と敢闘賞は4回、技能賞は3回輝いた。幕内通算580勝644敗34休。78年にはしこ名から、旭(アサヒ)国とともにサントリーのCMに出演した。引退後は二所ノ関部屋付きの北陣親方として後進を指導した。

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