【東京五輪あと100日】ソフト上野、引退危機救った異端トレ 14年に故障の左膝「半月板ずれている」

[ 2021年4月14日 05:30 ]

今なお日本の絶対的エースとして君臨する上野だが、14年に人知れず引退を覚悟した時期があった
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 東京で3度目の五輪出場になるソフトボール日本代表の上野由岐子(38=ビックカメラ高崎)は、人知れず、引退を覚悟した時期があった。2014年に膝を故障し、当時の所属チームは存続に揺れた。岐路に立たされ、“潮時”を感じるほど苦しんでいた。逆境を救ったのが、異端のトレーナー竹田和正さん(53)。二人三脚の復活ストーリーに迫った。

 竹田トレーナーは当時をよく覚えている。

 「私は医者じゃないけど、異常だと分かった。半月板の位置がずれているように見えた。ウエ(上野)は“もう頑張れない”と言っていた」

 ジムの人気トレーナーだった竹田さんは、独立後、さまざまなスポーツ選手を手掛けた。サッカー日本代表の川口能活、中村俊輔らの体づくりを支えた。トレーニングは独創的だ。選手は、長さ1メートル、横幅10センチ、厚さ4センチの板を縦や横にして乗り、さまざまな動きをする。おもりは使わない。「元々備わっている筋肉を無意識に使えるようにする」という狙いだ。

 上野は当初、板の上でスクワットができなかった。左右の筋肉のバランスが極端に悪くなっていたのが原因だった。高崎から横浜まで、電車で2時間半をかけて通った。相当な疲労感を伴うメニューを繰り返すうちに、症状が改善した。

 「行きの電車は痛いのに、帰りは平気。筋肉の使い方ひとつでこんなに痛みは変わるんだと驚きました」

 竹田塾の門下生、ラグビー日本代表7キャップ、NTTコミュニケーションズのフランカー金正奎主将(29)は、右腕の復活ストーリーを間近で見てきた一人だ。今も一緒に汗を流すことがある。「上野さんはできない内容があれば、残ってひたすらやり続ける。課題を次の日に残さない人」。妥協を許さぬ姿勢、食事への配慮など、高いプロ意識が、早期の復活につながったと感じている。

 患部の周囲の筋肉がうまく使えるようになったようで、翌15年の日本リーグは平常時並みの97イニングを投げた。故障前に比べ、膝の使い方が変わった。リリースの瞬間に、無理に左足で踏ん張らないようになった。竹田トレーナーが「重心移動をうまく使って効率よく投げる」と表現する負担減の投法へ移行した。

 上野も「痛くない投げ方を見つけた」と、不安を払しょくして、38歳の今も力を維持する。今春の沖縄合宿では、野球の160~170キロに匹敵する118キロをマークした。

 今季初登板の4日のリーグ戦で右脇腹肉離れを発症し、全治3週間と診断された。調整に狂いが生じた。しかし、「引退」を覚悟したほどの膝の故障を乗り越えた大エースなら、五輪へ万全に仕上げてくれるはずだ。

 ≪5月17日~合宿、実戦は高校生と≫日本リーグ前半戦が5月9日に終了した後、日本代表は17日から31日まで高崎市で合宿を行う。6月7日から同地で再びキャンプを張り、そのまま7月21日の五輪初戦に臨む。5月末に計画していたオーストラリアとの練習試合は困難になり男子高校生と実戦形式で調整をしていく。

 ◆上野 由岐子(うえの・ゆきこ)1982年(昭57)7月22日生まれ、福岡市出身の38歳。小学3年から競技を始め、九州女高(現福岡大若葉)から01年に実業団入り。国内リーグの勝利数、奪三振数、完全試合回数などで数々の記録を樹立。五輪初出場の04年アテネで銅。08年北京は決勝までの2日間3試合を1人で413球を投げ抜き金メダル。1メートル75、73キロ。

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