鮎川誠さん YMOと長年親交 11日死去の高橋幸宏さんに続き…

[ 2023年1月31日 05:30 ]

鮎川誠さん
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 長く親交を育んできたYMOの高橋幸宏さん(享年70)が11日に亡くなったのに続く悲報だった。78年に英ロックスターのエルビス・コステロ来日公演で前座を務めた鮎川さんを客席で見ていた高橋さんが「存在感が抜きんでている」と注目。79年、鮎川さんはYMOのセカンドアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に加わり80年のYMO初の国内ツアーでもゲスト・ギタリストとして演奏するなど交流。81年の武道館公演ではYMOとシーナ&ロケッツの共演が実現した。

 ▼HIRφ(「ニューイヤー・ロックフェスティバル」のプロデューサー)必ず回復してくれると思っていましたが、残念で言葉が出ません。内田裕也さん亡き後、「ニューイヤー」を続ける上で常に支えになってくれたのが鮎川さん。裕也さん追悼のライブでも「セッションしてください」とお願いすると、「おー!一緒にロックしようや。OK!OK!ロックンロールしようぜ」と二つ返事で受けてくれました。「コミック雑誌なんかいらない!」などをジョイントできたのは僕の宝物で誇りです。

 ▼武田鉄矢(同郷で50年来の友人)長い友でした。博多の街で初めて会ったのは20歳過ぎた頃。フォークとロックのジャンルの違いはあれど、気の合う音楽仲間でした。マコちゃんと一緒に演奏した「あんたが大将」は一番楽しい思い出です。マコちゃん、愛した女房シーナのところへ走ってゆけよ。

 ▼陣内孝則(同郷の後輩)「リズムはタイトに!ゼイ肉を落として!ガーン!!ちゅうげな…これがロックたい!」という鮎川さんの言葉が今も頭に残っています。完全無欠、唯一無二のロック人生だったと思います。

 ▼仲野 茂(亜無亜危異)鮎川誠にささぐ。黒のレスポールが日本一、いや世界一似合うギタリスト鮎川君。失礼は承知の上で「鮎川君」と呼ばせてもらいました。俺の中では「さん」じゃなし、九州の人たちは「まこちゃん」「誠さん」と呼んでいたが、あのルックスとメガネと黒のレスポールを持った鮎川誠は俺にとって、やっぱ「鮎川君」だった。残念ながら50周年ニューイヤー・ロックフェスティバルは体調不良のため欠席だったことが、鮎川君にとっても俺たちにとっても心残りではあったと思う。鮎川君に合掌。

 ▼PANTA(頭脳警察)訃報に接し、返す返すも予定されていた2月6日の「シーナ&ロケッツ」とのジョイントライブができなかったことが悔しくてならない。自分が汗止めにとヘアバンドをしたときに、「ロックやなか!」と苦言を呈した鮎川誠。夏だろうと暑かろうと革ジャンを脱がなかった鮎川誠。そんな彼が、いとおしくてならない。ロックンロール一筋に走り抜いた鮎川誠。その生きざまにふさわしい弔いライブとして2月6日は騒がしくねぎらってあげたいと思う。

 ▼石橋静河(NHKドラマ「You May Dream」でシーナさん役。父の石橋凌が深い交流)放送前のイベントでシナロケのバンドの皆さんとYOU MAY DREAMを歌わせてもらった。鮎川さんは優しくて、音楽そのもののような方だった。歌い終わった後、なぜか涙が止まらなかった。(インスタグラムで)

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2023年1月31日のニュース