元チェッカーズ鶴久 「ギザギザハートの子守唄」秘話…100位圏外も「プロデューサーの狙い」

[ 2022年12月4日 17:29 ]

元チェッカーズの鶴久政治(1997年撮影)
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 元「チェッカーズ」の鶴久政治(58)が、4日放送のテレビ朝日系「いまだにファンです!」(後3・30)に出演し、知られざるデビュー当時のヒット戦略について打ち明けた。

 鶴久は80年代最強アイドルの真実をテーマに、ジャニーズの3人組アイドル「シブがき隊」の布川敏和らとともに出演。その足跡を映像などで振り返った。

 福岡で結成されたチェッカーズは、83年に「ギザギザハートの子守唄」でメジャーデビューした。ランキングはまさかの100位圏外だったが、2枚目シングル「涙のリクエスト」がオリコン2位の67・2万枚を売り上げ、アイドル的な人気を博すように。3枚目の「哀しくてジェラシー」も大ヒットし、3曲が同時にオリコンのトップ10に入るという史上初の快挙を成し遂げた。

 「ギザギザハート―」が相乗効果で売れたことに、鶴久は「プロデューサーの狙いなんですよ」と打ち明けた。同曲は周囲に理解されない不良の心境を歌ったインパクト大の曲。続く「涙のリクエスト」は、切ない失恋ソングだった。鶴久は「『涙のリクエスト』は、聴いた感じだと入りやすいんだけど、インパクトがない。『ギザギザハートの子守唄』は、不良していたやつが歌詞とマッチングしてて」と解説。「それを全国的に広めた後に、“『涙のリクエスト』は絶対ヒットする”ってプロデューサーが言ってた。“焦るな、焦るな。2枚目、くるぞ”みたいな」。実は計算ずくの戦略だったことを明かし、出演者たちを驚かせた。

 とはいえ、「ギザギザハート―」はメンバー人気は決して高くなかったという。「僕ら、でもこのデビュー曲大嫌いだったんですよ。これをもらった時に(藤井)フミヤさんが“これって演歌ですか?”って言ったの」と告白。するとプロデューサーは「我慢して歌え。でも、売れたら好きなこと何でもやっていいから」と激励してくれたといい、鶴久は「プロの人の仕掛けというか(すごい)」と驚いていた。

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2022年12月4日のニュース