ロックとは何か――矢沢を通すと答えが見えてくる

[ 2022年8月23日 11:30 ]

矢沢の金言(終)

ソロデビューする1975年、東京・新宿で畳じゃ死なねえぞ!とばかりに成功を誓う矢沢永吉
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 矢沢永吉の日本武道館公演を毎年見に来ていた人がいる。ジャニーズ事務所の名誉会長だった藤島メリー泰子さん(享年93)。

 日本最大のアイドル帝国を築いた女帝とロック界のカリスマは意外な組み合わせだが、実際2人に接点はない。ただ自分が知る限り昨年他界するまでの10年以上、毎年のように見に来ていた。

 歯に衣(きぬ)着せぬ言動。弟の故ジャニー喜多川さんと自力で芸能界に独自のポジションを築いた突破力。いち早くコンサートグッズを商品化した先見の明。実は2人の共通点は多く、同じにおいを感じ取っていたと思う。アイドルの長寿化に成功した中、さらなるヒントを矢沢から得ようとしていたのかもしれない。ただ、それだけでは毎年は見に行かない。シンプルに矢沢のステージが、矢沢の歌が好きだったのだと思う。

 今回の連載で多くの金言を紹介し、その激動の人生を矢沢がどんな思いで乗り越えてきたのかを振り返った。そこで分かったのは「ロック」の定義は難しいが、矢沢を通すと答えが見えてくるということ。そして50年間熱狂的なファンがいる理由は、彼の人生がにじむ、その「音楽」にあるということだ。

 今の矢沢と重なってきた、♪畳じゃ死なねえぞ――は1975年のデビューアルバム「I LOVE YOU,OK」の収録曲「サブウェイ特急」の歌詞。ロックで「畳」と歌ったのは世界中探してもこの一曲だけだろう。作詞は松本隆氏(73)。バンド「はっぴいえんど」時代、ロックに日本語を乗せることに腐心した中、最も対極にある日本語の「畳」を矢沢に投げたのは、彼なら歌えるとその比類なき音楽性を信じていたからだと思う。

 矢沢には口癖がある。自分のことを語る時に「矢沢」という一人称を使う。ミュージシャンの立ち位置で語る場合など用途はさまざまだが、自分を客観視する本能の象徴だ。この独特の「視座」が矢沢をスーパースターに押し上げたと言っても過言ではない。

 「矢沢永吉」という人間の深層に触れ、心底ひかれた言葉がある。今から15年ほど前。大みそかのイベント終了後、除夜の鐘が鳴り終えた頃に膝を突き合わせながら聞いた。

 「実は人付き合いがあまり得意じゃないんだ。臆病なのかナルシシストなのか分からないけど。人がね“あいつ、ええカッコしやがって”とか思ってるんじゃないかと思っただけで耐えられない。人の目が、陰口が、気持ちが怖い。だから周囲に黙って合わせたらいいのか。それはもっと耐えられなかった」

 夢や欲求、ひらめきに忠実で、打算や妥協を嫌う。野性的な好戦性に隠れた繊細さはここから生まれ、自分を愛して自分を信じる孤高の生き方も、独特の切なさがにじむ歌声とメロディーにも、その純真が見えるのだ。同じ団塊の世代から50歳以上離れた若いファンからも愛着満点に「永ちゃん!」と呼ばれるのはこのためだろう。(阿部 公輔)

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2022年8月23日のニュース