【内田雅也の追球】「あきらめる」の意味 終盤の反撃で1点差で敗れた阪神 巨人との差はどれほどか?

[ 2020年9月17日 07:30 ]

セ・リーグ   阪神6―7巨人 ( 2020年9月16日    東京ドーム )

<巨・神(15)>8回、木浪の適時二塁打で生還し、ナインに出迎えられる中谷(撮影・北條 貴史)
Photo By スポニチ

 試合中、広報担当を通じ届いた阪神・中谷将大のコメントが目をひいた。8回表、代打で2点二塁打を放ち、完封を阻止、田口麗斗を降板させた一打について「点差はありますが、1点ずつ返していけば何が起きるかわからない」とあった。

 確かに、野球では何が起きるか分からない。言葉通り、続く代打・木浪聖也が2点二塁打。9回表は大山悠輔の2ランで1点差まで迫った。0―7から6―7とした反撃に不屈を見た気がする。

 7回までは屋根付き密閉式の東京ドームに秋風が吹いていた。自力優勝の可能性が消えた翌日、再出発の一戦で淡々と凡打を繰り返した。あきらめムードが漂っていた。それはチーム内外の多くの者が感じていたのではないか。

 ただし「あきらめる」にも意味はある。<「あきらめる」とは「明らかに見る」こと>と禅僧・南直哉(じきさい)が『なぜこんなに生きにくいのか』(新潮文庫)で書いている。

 「あきらめる」とは元は仏教用語で「明(あき)らめる」と書き、「明らかに見る」「明らかにする」との意味だったそうだ。

 南は<目標を追求することも大事ですが、ある時点で「断念する」ことを知らないといけない>と諭す。目標や願望が達成されない時、その理由を明らかにし、納得して断念するわけだ。

 <それは絶望とは違う。(中略)いまの自分の力とその目標との距離を計る>。つまり、具体的に目標に近づくための方法なのである。

 対戦成績で大きく負け越す巨人について、ある阪神球団首脳は「ほんのわずかの差だと思うのですが……」と話していた。確かに、この夜も最後は1点差だった。

 ただし、相手の巨人はマジック点灯後の余裕か、主将・坂本勇人、4番・岡本和真を体調が優れず、休養させていた。飛車角落ちである。

 将棋で飛車角を落とす二枚落ちは、通常6~7段級差で用いられる。もちろん、今の阪神と巨人でそこまでの差があることもないだろう。それでも、この夜の巨人は、小駒と書けば失礼だが、登用した若手が今季初安打や初本塁打を放つなど、はつらつと打ち、走った。勢いの差、明暗が浮き彫りとなっていた。

 1点差まで詰め寄ると今度はクローザーのルビー・デラロサを降ろした用兵に恐れ入る。阪神は最後、中川皓太に連続三振を喫して敗れた。将棋で言えば、あえて危ないように見せて、実は「1手勝ち」を読み切っているような采配だった。

 そして翻れば、4回表2死での立岡宗一郎の左前ライナー性、9回表先頭でゼラス・ウィーラーの一塁線ゴロの好捕など、要所の守備で球際の強さを見せられていた。

 むろん、阪神のフロントも打撃も守備も巨人との差を重々承知しているはずだ。実際、その差はどれほどなのか、具体的に知ることである。それが今後の練習や補強など、チーム強化の方針につながる。

 その名も『諦める力』(プレジデント社)という著書で元陸上選手の為末大は先の「あきらめる」の原義を示した上で<手段は諦めてもいいけれども、目的は諦めてはいけない>と書いている。為末自身、世界陸上でメダルを獲る400メートルハードルに行きつくまで、いくつもの競技から転向していた。

 <言い換えれば、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである。(中略)負ける戦いはしない代わりに、一番になる戦いはやめない>。

 阪神はこれから「一番になる戦い」を模索していかねばならない。

 開幕前から「予祝」もあって監督・矢野燿大は「優勝」「日本一」と繰り返した。その目標が遠のいた今だからこそ、「あきらめる」ことができる。巨人との彼我の差を知り、立ち向かう。そうして差を詰めていくしかないのだ。

 そう、冒頭の中谷談話にあったように「1点ずつ」返していくのである。=敬称略=(編集委員)

続きを表示

2020年9月17日のニュース