故・豊田泰光さんの“2番打者論”「初回に送りバントはつまらない」

[ 2016年8月18日 09:34 ]

勝負強い打撃で西鉄の黄金期を支えた豊田泰光さん

 西鉄の黄金時代を支えた豊田泰光さんが14日に誤嚥性肺炎のため死去した。享年81。強烈な個性を放った生涯を閉じた。

 豊田さんは水戸商から西鉄に入団した53年に新人王を獲得。56年に首位打者に輝いてリーグ優勝に貢献し、同年の巨人との日本シリーズではMVPに選ばれた。無類の勝負強さを誇り、打てるショートの先駆け的な存在だった。

 現役引退後の野球評論家としての活動が評価され、06年には野球殿堂入りした。鋭い視点で核心を突き続けた豊田さんの春季キャンプ地巡りに同行させてもらったことがあり、独自の野球観に感銘を受けた。その一つが「2番打者論」だ。

 豊田さんは「流線形打線」と呼ばれた西鉄打線の2番を打った。3番は豪打の中西太さん、4番にアベレージヒッターの大下弘さんが続いた打順で、56年から続いた巨人との日本シリーズで3連覇を果たした。強打の2番打者として相手に恐れられた豊田さんは、初回に先頭打者が出たらバントという野球はつまらないとバッサリと斬り捨てた。

 日本ハム・小笠原、ダイエー・バルデスを2番に置いた超攻撃的なオーダーが2000年代の前半のパ・リーグにはあった。昨年はヤクルトが川端を2番に据えた打線で14年ぶりにセ・リーグを制覇。「2番・川端」についての話はとうとう聞けなかったが、ヤクルトの前身である国鉄にも在籍した豊田さんはきっと喜んでいたはずだ。

 豊田さんは送りバントを全否定していたわけでなく、野球の醍醐味(だいごみ)が失われる判で押したような作戦を嫌った。多彩な攻撃を可能にする2番バッターの出現に期待したい。(記者コラム・森 寛一)

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2016年8月18日のニュース