今季は大丈夫?期待裏切った巨人の助っ人外国人列伝

[ 2016年3月29日 08:00 ]

長嶋茂雄監督(左)と握手するジェフ・マント

 3月25日、ついに2016年プロ野球ペナントレースが開幕した。野球界に暗いニュースが続いていただけに、その話題を一掃するような選手たちのプレーに期待したいところだ。

 そんな中、高橋由伸新監督となり、心機一転して∨奪回を誓っていた巨人。開幕前からなにかと話題となってしまったものの、グラウンドの中では切り替えてプレーできたようで、昨季のリーグ優勝チーム・ヤクルトに対して、開幕3連勝を飾った。特に、課題の打線強化のために補強した4番・ギャレットと5番・クルーズが大活躍! 3連戦で打率6割のクルーズにギャレットは3戦目に逆転2ランを放ち、大きく貢献した。

 しかし、巨人にはかつて大きく期待を裏切った“助っ人外国人”が、過去に何人も存在していた。参考までに彼らを紹介しつつ、ギャレット、クルーズがその系譜に名前を連ねないと祈るばかりだ。

◎ゲーリー・トマソン(1981、1982年在籍)

 サンフランシスコ・ジャイアンツ時代の1977年には17本塁打をマーク。1981年に主軸を担う長距離砲として巨人に入団する。一時は4番を任されるなど20本塁打を放ちその実力を見せつけた。しかし、その一方で三振数は132を記録。チャンスでなかなか打てない勝負弱さもあって「大型扇風機」「トマ損」とありがたくない異名をつけられてしまう。さらに、翌1982年には開幕直後はスタメン出場するも、途中からライトの定位置を淡口憲治に奪われ出場機会が減少。47試合に出場し本塁打はゼロと結果を残せず、このシーズン限りで巨人を去った。

 その後、「トマソン」の名は別の形で知られていく。昨年亡くなった作家・芸術家の赤瀬川原平は、芸術物ではあるがあまり実用的ではない無用の長物を「トマソン」と命名。前衛芸術界に大きな影響を与えた。

◎ジェフ・マント(1996年在籍)

 オリオールズ時代の1995年には4打席連続本塁打という離れ技を記録し、“一発のあるバッター”という触れ込みで1996年に巨人にやってきた。オープン戦でもなかなか調子が上がらず、その実力に疑問符が付き始めるが開幕戦では「7番・サード」としてスタメン出場を果たす。しかし、その長打力をなかなか発揮することができず、開幕10試合目にはスタメン落ち。そのまま好転することなくシーズン途中で解雇された。前年の終盤に結果を残した若手の吉岡佑弐(吉岡雄二/現富山GRNサンダーバーズ監督)を差し置いてマントをスタメン起用したことは、多くの巨人ファンを失望させる結果となった。

◎ルイス・サントス(1997年在籍)

 マントを解雇した巨人だったが翌年の1997年、同じ過ちを繰り返す。新外国人として獲得したのは台湾プロ野球で結果を残したドミニカ人のルイス・サントスだった。台湾・兄弟エレファンツに在籍した3年間で首位打者1回、打点王1回、3年とも打率は3割5分を超える高打率を残す。

 右打者にも関わらず、“台湾のイチロー”という異名がつけられていた。開幕戦では松井秀喜、清原和博に続く「5番・サード」で出場するが、台湾時代の打撃は鳴りを潜める。さらに課題としていた守備でもミスが続き、結局39試合の出場に終わり打率.237と散々な結果に終わり1年で退団を余儀なくされた。

◎ダン・ミセリ(2005年在籍)

 巨人ファンにとっては二度と思い出しくない名前だろう。2005年、抑え不在に頭を悩ませていた巨人は新守護神としてミセリを獲得する。ところが4月1日の広島との開幕戦、ミセリはいきなりやらかしてしまう。

 9回表、1点リードの場面でマウンドへ上がったミセリは、ラロッカに本塁打を浴び同点に。そして1死二塁から、緒方孝一に2ランを許し、開幕戦勝利目前から一転、悪夢の逆転負けを喫した。

 さらに4月5日の横浜戦では延長12回に登板するも、サヨナラ安打を打たれ、またもや救援失敗という失態を犯す。わずか4試合の登板、0勝2敗という成績で、4月中旬に解雇された。

 解雇されたミセリは家族とともに浅草観光に出かけ、その光景が報道されると巨人ファンは怒りを露にした。この年、巨人は低迷を続け5位という不本意な成績に終わっている。(『週刊野球太郎』編集部)

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