張本氏、後輩・尾崎さんを悼む…「ちび」こそ本物の怪童

[ 2013年6月14日 08:00 ]

62年、東映の水原監督(中央)、張本(右)と記念撮影する尾崎さん

 プロ野球の東映、日拓(現日本ハム)でプレーし、その剛速球から「怪童」との異名をとった尾崎行雄氏が13日午前8時23分、肺がんのため都内の病院で急死した。68歳。浪商(現大体大浪商)、東映(現日本ハム)で尾崎氏の先輩だった張本勲氏(72)は「本当に大ショック」と後輩の死を悼んだ。

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 ショック、本当に大ショックだ。母校・浪商、そして東映の後輩。尾崎は私より4つも若い。本当に信じられない。怪童。太くて短い、そして雄々しい野球人生だったと思う。

 あんな投手は、もう二度と出てこないだろう。速くて、重い。そんな剛速球とドロンとしたカーブだけで、大毎のミサイル打線など相手打者をきりきり舞いさせていた。低めのボールがグググッと伸びてくる。まさに大あっぱれな直球だった。胸が厚くて、腕が長くて…。入団してきたときは17歳。その若さから「ちび!ちび!」と呼んで可愛がっていた。東京都世田谷区駒沢にあった東映の合宿所「無私寮」。そこで2年間、一緒に過ごした。青春の日々。忘れることはできない。

 当時は土橋(正幸)さんらも一緒に寮にいた。今はバスの停留所になってしまった合宿所。尾崎はまだまだ純真な子供のようだった。30人以上の選手で、一緒に寝泊まりをして…。1962年(昭37)、17歳で開幕を迎えたシーズンで20勝。江夏豊を右投手にして、さらにボールを速くしたような感じだった。本当に、本当に速かった。

 最後に会ったのは昨年11月、東京ドームでのイベントの時。ちょっと顔色が悪かったので「元気でやれよ!」と声を掛けたら、「いやあ、何でもないですよ」との返事がきた。尾崎は何かあると、必ず浅草の手土産を持参してきてくれた。右肩を痛め、太くて短かった野球人生。現役当時にもっと自己管理の大切さを私からも教えていれば…と悔いが残る。大谷、藤浪の比ではなかった本物の怪童。「ちび」の冥福を心から祈りたい。

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