尾崎行雄さん 直球にこだわり「いつもストレート勝負 それが僕のプライド」

[ 2013年6月14日 10:04 ]

1962年8月 長嶋茂雄(左)と尾崎行雄さん

尾崎行雄さん死去

 “怪童”の異名で、17歳でプロ入りしいきなり20勝をマークした元東映(日本ハム)の尾崎行雄さんが13日、68歳で亡くなった。21世紀の野球ファンにはなじみのない右腕投手だが、年配には強打者を次々と三振に仕留める快速球とマウンド上で浮かべる笑みは忘れられないはずだ。引退後、プロの世界と距離を置いていた尾崎さんに、「あまり話したくない」というのを半ば強引に頼み込んで、全盛期時代の話を聞くことができたのは、5年前のことだった。

 「最近、真剣にプロ野球を見たことがないんだ。まあ、野球界から足洗っているし、球場に行く用もないしね。まあ、これといった選手もいないからね。(当時ボストン・レッドソックスの)松坂?うん、いいピッチャーだね。だけど…、こういうことを言うと怒られるかもしれないけど、僕に言わせれば大したことない。松坂君のレベルが低いというより、メジャーのレベルがね、低くなった。だから、松坂君もそんなに凄いとは思わないんだ。それに今のピッチャーはみんなフォークボールで三振取るでしょ。僕は一度もない。いつも直球が決め球だったね」。

 夏の甲子園での優勝、新人投手としてのさまざまな記録については「昔のこと。忘れた」と、目を合わせず、多くを語ろうとしなかった尾崎さん。しかし、話題が「直球」のことに及ぶと、身を乗り出して話す姿が印象的だった。

 「相手が狙っているのを分かっていても、いつもストレート勝負。それが僕のプライドやったね。だから、肩を痛めて何とか治してを繰り返し、もう限界となった時、ストレート勝負ができなくなった時にスパっと引退した。だって直球勝負できなくなったら、投手じゃないもん」。

 1967年(昭和42)の6勝の後、肩痛のため丸4年勝ち星なしだったが、直球の威力が戻ると信じている限りは引退しなかった。スター選手が、4年も1軍でまともに投げられず、敗戦処理までさせられれば止めたくなるものだが、その間尾崎さんを支えていたのは「俺より速いボールを投げられるやつはいない。俺が一番速いという自負だけだった」と声を大にして説明した。今でも、そう思っているか?という問いに「俺が何キロのスピードだったかは分からんが、今の投手が何キロ出そうと俺の直球も負けていない」。即答だった。

 快速球との大きなギャップとして、新人時代に取り上げられたのが、マウンド上で終始笑顔の表情だった。「人は“尾崎はいつも笑って新人離れした度胸や”とか、言っていましたけど、あれは意識してやっていた。相手がバカにされていると思って、イライラしてくれるかなと…。内心はドキドキよ」。

 押すだけではない、駆け引きも心得ていての新人20勝。投球技術などは今の野球の方がおそらく高いと思われるが、それは別として、まさに伝説と呼ぶにふさわしい右腕であったことは間違いない。一時期ではあったが、プロ野球の歴史にしっかりと足跡を残した尾崎さんの早すぎる死が惜しまれてならない。合掌。

続きを表示

2013年6月14日のニュース