“怪童”尾崎行雄さん急死 68歳、肺がん…東映伝説の160キロ腕

[ 2013年6月14日 07:19 ]

怪童の異名をとり東映のエースとして活躍した尾崎行雄さん

 怪童、死す――。かつて東映、日拓(現日本ハム)でプレーし、その剛速球から「怪童」との異名をとった尾崎行雄(おざき・ゆきお)氏が13日午前8時23分、肺がんのため都内の病院で急死した。68歳だった。尾崎氏は浪商(現大体大浪商)2年だった61年夏の甲子園で優勝。そのまま中退して東映に入団し、1年目の62年に20勝を挙げて新人王に輝いた。その直球は最速160キロを超えていたとの伝説を持つ。先月になって体調不良を訴え、今月7日に入院。それから1週間で帰らぬ人となった。

 昭和の時代に異彩を放った、太く短かった剛球人生。野球の神様は、何をそんなに急いだのか。尾崎氏の病状は、担当医が驚くほど急変したという。体調不良を訴えたのは5月15日。今月5日に最初の精密検査を受け、7日に都内の病院に入院したばかり。そして7日目を迎えたこの日朝、勝子夫人(68)、長男・力(ちから)さん(45)ら家族に見守られながら、静かに息を引き取った。

 「本当に突然で…。急でした。きのうも午前2時に病院から呼ばれて…。昔から病院が嫌いで、肩を壊した時も、病院には行かない人でした」

 東京都台東区内の自宅で、力さんは目に涙を浮かべた。68歳。「怪童」として大きな脚光を浴びたが、幸福な野球人生は長くは続かなかった。引退後は台東区内で欧州料理レストランを経営。監督、コーチなどで再びユニホームを着ることはなく、評論家などの依頼も全て断っていた。それでも時間があれば、「楽しい野球がしたい」と地元で少年野球を熱心に指導。草野球で自らマウンドに上がることもあった。

 甲子園では柴田勲(元巨人)擁する法政二と3度の名勝負。61年夏に全国制覇を果たすと同年11月に浪商を2年で中退し、当時で5000万円ともいわれる高額の契約金で東映に入団した。開幕時に17歳だった翌62年の入団1年目、20勝を挙げ史上最年少の18歳で新人王。65年には27勝で最多勝のタイトルを獲得。球宴で対戦した長嶋茂雄(巨人)が「速い!あんな速い投手はセ・リーグにいない」と驚いた直球は、160キロを超えていたとも言われる。しかし酷使の影響もあり、6年目の67年夏に右肩を故障。68年以降の6年間でわずか3勝しか手にできず、29歳の若さで引退した。

 「お医者さんも驚く(がんの)進行の早さで…。抗がん剤が効くから、2週間頑張れば、と言っていた」と力さん。尾崎氏は「お願いします」と話していたという。その名前は、衆院議員で「憲政の神様」といわれた尾崎行雄からとられた。通算107勝の怪童。その伝説は、永遠にファンの脳裏に刻み込まれる。

 ◆尾崎 行雄(おざき・ゆきお)1944年(昭19)9月11日、大阪府泉大津市生まれ。60年に浪商(現大体大浪商)に入学。1年夏からエースを務め、3季連続甲子園出場。2年夏には全国制覇を果たした。また、法政二・柴田勲(元巨人)との3度の対戦は名勝負として語り継がれる。その後、17歳で高校を中退し、62年に東映(後に日拓、現日本ハム)に入団。同年に20勝9敗、防御率2・42の好成績を挙げ、球団初のリーグ制覇に貢献し、日本一も達成。新人王にも輝いた。65年には27勝で最多勝を獲得。上体を揺らし反動をつけて投げる独特の投げ方は、ロッキング・モーションと呼ばれた。73年に29歳で現役引退。通算成績は364試合で107勝83敗、防御率2・70。

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