元横綱・2代目若乃花、下山勝則さん死去 69歳 花のニッパチ組、照ノ富士入門時の師匠

[ 2022年7月19日 05:25 ]

1980年5月、土俵入りする第56代横綱の2代目若乃花
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 大相撲の横綱・照ノ富士の入門時の師匠で「花のニッパチ組」として活躍した元横綱・2代目若乃花の下山勝則(しもやま・かつのり)さんが、16日午後6時47分、肺がんのため大阪市内の病院で亡くなった。日本相撲協会が18日に発表した。69歳。葬儀・告別式は家族葬で執り行う。

 青森出身で小学2年で相撲を始め、二子山親方(元横綱・初代若乃花)にスカウトされて、高谷俊英さん(故人、後の横綱・隆の里)と同じ夜行列車で上京し入門。1968年名古屋場所で初土俵を踏んだ。73年名古屋場所で20歳で新十両に昇進。同年九州場所で新入幕を果たした。77年初場所後に大関に昇進し、同年夏場所には13勝2敗で初優勝。78年夏場所後に第56代横綱に昇進し「若三杉」から改め師匠のしこ名を継承した。

 柔らかい体で、切れ味鋭い右上手投げを得意とし、同じ昭和28年生まれの北の湖、麒麟児らとともに「花のニッパチ組」と呼ばれ、輪島らとも熱戦を繰り広げた。甘いマスクでテレビCM出演やレコードデビューを果たすなど絶大な人気を博した。横綱では3度優勝したが、師匠の長女と離婚し、肝臓病やケガなどにも苦しみ、83年初場所に29歳9カ月の若さで現役引退した。

 83年12月に二子山部屋から独立して間垣部屋を起こし、若闘将、若ノ城、五城楼、大和、若ノ鵬の幕内力士を育てた。協会の理事を約10年間務め、10年2月の協会理事選挙では貴乃花親方(元横綱)が出馬した際に行動を共にしたことも話題になった。

 07年3月には頭痛を訴えて倒れ、その後は車椅子生活を余儀なくされた。さらに自身の弟子に対する暴行問題や、弟子でロシア出身の幕内・若ノ鵬の大麻問題など騒動も続いた。体調の悪化などを理由に13年3月に部屋を閉じ、弟子の若三勝(照ノ富士)らと伊勢ケ浜部屋に転籍した。

 13年12月に相撲協会を退職。その後は大阪市内で元弟子の介護を受けて生活し、最近は元貴闘力のYouTube番組にも出演していた。

 ◇下山 勝則(しもやま・かつのり)1953年(昭28)4月3日生まれ、青森県南津軽郡大鰐町出身。68年名古屋場所で二子山部屋から「下山」で初土俵。73年九州場所で新入幕を果たした。78年夏場所後の横綱昇進時に「若三杉」から「若乃花」に改めた。鮮やかな右上手投げが持ち味で、優勝4回。通算656勝323敗85休。技能賞を4回、殊勲賞を2回受賞。83年初場所限りで引退し、間垣部屋を起こした。

 ▼伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士) 同じ青森県出身で、巡業などの稽古などでよく可愛がってもらった。本当によく声をかけてもらった。(2013年に照ノ富士ら)弟子を2、3人、私に託してもらった。育てる責任があるし、結果が出ていると思います。ご冥福をお祈りするしかありません。

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