【羽生結弦、語る 会見(3)】競技会に別れ「獲るべきものは獲れた」「よりアスリートらしく」

[ 2022年7月19日 19:10 ]

会見に臨む羽生結弦(撮影・小海途 良幹)
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 フィギュアスケート男子の羽生結弦(27=ANA)が19日、都内で記者会見を行い、競技の第一線から退き、プロに転向することを表明した。14年ソチ、18年平昌と男子では66年ぶりの五輪連覇を達成し、4位だった22年北京ではクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)への挑戦が世界初認定。伝説を刻んできた勝負のリンクに別れを告げた。

【羽生結弦、語る 会見(3)】

 ――競技会には出ないという決断でいいのか?揺れ動いたのか?
 「まず最初に、これから競技会というものに出るつもりはないです。僕がこれまでやって来た中で、競技会に対して、結果ということに対して、獲るべきものは獲れたなと思っていますし、そうですね、そこに対する評価をもう求めなくなってしまったのかなという気持ちもあります。それがここまで至った経緯です。そして、自分が揺れ動いたりとかっていうのはもちろんあったんですけど、そもそも平昌オリンピックの時点でもう引退しようと思っていて、引退という言葉はあまり好きじゃないんで使いたくないですけど。何か、僕が16歳だったり、17歳ぐらいの時のインタビューで“2連覇したらどうするんですか?”と言われた時に“いや、そこからがスタートです”って本当に自分の心の中から言える時期があって、今は本当にそういう気持ちでいます。何か、自分の中では平昌五輪から、そこからプロのスケーターとしてプロのアスリートとしてスタートするんだというふうに思ってたんですけれども、4回転半だったりとか、四大陸選手権を含めて金メダルを獲れていない試合が何個かあったので、それを獲りたいと思って続けました。結果として、4回転半にこだわり続けた結果、北京オリンピックというところまで続いたんですけれども、今の自分の考えとしては別に競技会で降りなくてもいいじゃんと、思ってしまっています。何か、これからさらに自分が努力したい方向だったりとか、自分が理想としているフィギュアスケートっていう形だったりとか、そういったものを追い求めるのは競技会じゃなくてもできるなって。むしろ競技会じゃないところの方が皆さんに見ていただけるんじゃないかなと思ってこういう決断をしました。これからも4回転半を含めて、よりアスリートらしく頑張っていきたいなと思います。ありがとうございます」

 ――これだけ実績を残して羽生選手の言動はものすごく影響を与えて、いろんな人を喜ばせている。ここまでの存在になる方は限られている。自分の中で、そこまでになれた自分にしかなかった特長などはあるか?

 「ありがとうございます。なんか自分でそういう実感があまりないので分からないですけど、ただ今この場所にいる羽生結弦としては、あのー何か、客観視して本当にすごく遠くから、例えば今カメラさんがいる場所から、とか、自分の上からとか見たら、羽生結弦ってどういう存在かなと思うと、何か、たくさん応援していただけるからこそ、ここにいるんだなと思う。別に羽生結弦が何か持っているからとか、僕自身が何かをしてきたからとか、そういうんじゃなくて、いろんな環境の変化があったりとか、いろんな、うーん、いろんなことで自分の演技を見ていただいたり、自分の発言をさせていただく場所あったり、聞いていただく場所があったりすることによって、僕は特別応援していただける本当に運のいい人間なんだなと思っていて、それが僕自身ももっともっと頑張っていかなきゃいけないとか、よりいろんなことを考えたりとか、どんな言葉がいいのだろうかとか、どんなことを考えていけばいいのだろうかとか、そういうことを考えさせてくださるきっかけになっていたので、何か、別につくりあげている訳ではないんですけど、でも、そうやって皆さんに応援していただけるからこそ、たくさんの方々に応援していただけるからこそ、僕はここで発信できる、発言できるんだなと強く思いますし、その上で僕自身もその期待に応えられるように、その期待をさらに超えていけるように頑張っていきたいなと思えたので、まあ、そんな感じでやってこられたのかなと思います。ただ、やっぱり言ってくださった通りに、僕はアスリートでしかないと思っていて、でー、これからいろんな演技をしていったりとか、スケートを続けていくにあたって、いろんな面が見えたりすると思うんですね。ただ、その中でもやっぱり、何か、芸能人とか別にアイドルでもないですし、やっぱりアスリートとしてかっこいいなって、アスリートとしていろんな希望とか夢とかを見せてもらえるなって思ってもらえるような存在として、これからも努力していきたいなって今は思っています」

 ◇羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)1994年(平6)12月7日、宮城県仙台市出身の27歳。4歳でフィギュアスケートに出合い、08年に全日本ジュニア選手権で初優勝。全日本選手権は6度制覇、世界選手権で2度の金メダルを獲得し、五輪は14、18年と連覇を達成した。1メートル72。

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