【羽生結弦、語る 会見(7)】「羽生結弦という存在は常に重荷」も「羽生結弦として生きていきたい」

[ 2022年7月19日 20:49 ]

会見に臨む羽生結弦(撮影・小海途 良幹)
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 フィギュアスケート男子の羽生結弦(27=ANA)が19日、都内で記者会見を行い、競技の第一線を退き、プロ転向を表明した。14年ソチ、18年平昌と男子では66年ぶりの五輪連覇を達成し、4位だった22年北京ではクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)への挑戦が世界初認定。伝説を刻んできた勝負のリンクに別れを告げた。

【羽生結弦、語る 会見(7)】

 ――これまでの競技者としての自分の努力をどう振り返っているか。それがプロスケーターとしてどのようにつながっていくと考えているか
 「えっと、まず、その平昌オリンピックで連覇した時点で、その、まあ、競技を終えてプロとして、さらにうまくなっていきたいなと思ったという時期があったっていう話をしたんですけど、あのままの自分だったら、今の、この自分の努力の仕方だったりとか、自分がどうやったらうまくなれるのかとか、そういったことを感じられないまま終わってしまったかもしれないな、本当の意味で終わってしまったかもしれないなって言うふうに思いました。あの頃は、まだまだ4回転ジャンプもルッツまで、ルッツ、フリップという、本当にある意味、今の新時代みたいなものを象徴するようなジャンプが増えてきている段階でありましたけど、なんか、そういったジャンプたちを自分も追い求めて、で、また、フィギュアスケートのいわゆる、一番うまくなれる時期というか、フィギュアスケーターってこれぐらいの年齢で競技を終えるよねって、ここからうまくならないよねって、むしろ停滞していったり、維持するのが大変だったりするよねっていう、そういう年齢が大体、23とか24ぐらいで切り替わってしまうのが定例みたいなものでした。だけど、僕自身は23歳で平昌オリンピックを終えて、それから今の今まで、本当にジャンプの技術も含めてかなり成長できたなって思ってるんですね。それは、その中でどんな努力をすれば良いのか、どういう工夫をしていけば良いのか、そういうことが分かったからこそ、今があるんだなと思ってい。、そういう意味で今が一番うまいんじゃないかなって思います。だからこそ、その経験があったからこそ、これからも、例え自分が30になろうとも、40近くなろうとも…40までスケートやっているか、ちょっと分からないですけど(笑)。でも、それまで、今までは『この年齢だからできなくなるな』って思っていたことがなくなるんじゃないかなって、ちょっとワクワクしています。そういう意味ではやっぱり北京オリンピックまでやり続けてきて、本当に努力し続けてきて、これ以上ないぐらい頑張ったと言える努力をしてこられて良かったなと思いますし。また、これからも改めていろんな努力の仕方だったりとか、頑張り方だったりとか、いろいろ試行錯誤しながら、さらにうまくなっていけたらいいなと思います」

 ――競技人生の区切りを迎え、羽生結弦として生きてきて重荷になったことは
 「えーと、常に僕…僕っていう定義だと、また分かんなくなっちゃうんで難しいんですけど。僕にとって羽生結弦という存在は常に重荷です。本当にすごい重たいです。こうやって会見でお話させていただく時とかも、ここに登壇させていただく時とかも、そして『決意表明えおして下さい』って言われた時とかも、ものすごく緊張して、今まで考えてきたことが全て吹き飛んでしまうぐらい、手足も真っ青になってしまうぐらい緊張していました。あの、そういった意味で自分自身も完璧でいたいって強く願いますし、これからも完璧でいたい、もっと、もっともっと良い自分でいたいって、もっと良い羽生結弦でいたいって思ってしまうので、これからもまた重いなぁって、いろんなプレッシャーも感じながら過ごすことになってしまうと思うんですけれども。でも、その中で、こういう姿を見て応援して下さる方々もたくさんいらっしゃいますし、また、北京オリンピックのように自分がちょっと心が崩れてきてしまった時とか、あの時、『努力が報われなかった』とか「報われない努力があるんだ』とか『幸せって本当に心の中から言えない』とか、いろんな言葉を並べてしまっていましたけれども、そういった自分がいることも、みなさんに分かっていただいたり、そういう自分を応援して下さっている方々がいるのもうれしいなぁとは思っています。なんか、いつもいつも、羽生結弦って重たいなぁって思いながら過ごしていますけど、それでも羽生結弦という存在に恥じないように生きてきたつもりですし、これからも生きていく中で、羽生結弦として生きていきたいなと思いますし、ただ、その中で先ほどの決意表明の中でも話させていただいたように、自分の心をないがしろにすることはしたくないなと。これまで演技をしていくに当たって、本当に心が空っぽになってしまうようなことがたくさんありましたし、訳もなく涙が流れてきたりとか、ご飯が(喉を)通らなかったりとか、そういったことも多々ありました。正直、いわれのないことも言われたりとか・なんか、なんか…そんなに叩かなくてもいいじゃんというようなこととか、正直いろんなことがありました。けど、人間としてもいろんな人が信頼できなくなったり、誰を信用していいのか分からない時も、もちろんありました。多分、でも、それは羽生結弦だからじゃなくて、みなさんがそう思っているんだと思いますし、大なり小なり、みなさんがつらいんだなって思ってます。だからこそ、僕自身がこれからも生きていく中で、生活していく中で、心を大切にしてもいいんじゃないかなって。自分の心が空っぽになってしまう前に、自分のことを大切にしてきて下さった方々と同じように自分自身も大切にしていかなきゃいけないなって、今は思っています。なので、みなさんも、なんか、うん。自分を応援することで、いろんなことを感じていただけたり、生活の一部だとか、生きがいだと言って下さることは、とてもうれしいですし、そういう風にこれからもなっていくつもりです。ただ、なんか、そういった中でも自分の心を大切するようなきっかけの一つであったら良いなと思います」

 ◇羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)1994年(平6)12月7日、宮城県仙台市出身の27歳。4歳でフィギュアスケートに出合い、08年に全日本ジュニア選手権で初優勝。全日本選手権は6度制覇、世界選手権で2度の金メダルを獲得し、五輪は14、18年と連覇を達成した。1メートル72。

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