2代目若乃花が教えてくれた“相撲道”小学生力士に見せた粋な心づかい

[ 2022年7月19日 13:41 ]

2代目若乃花(左)と小学2年の時の長谷川記者
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 【元横綱・2代目若乃花、下山勝則さん死去】 【悼む】 大学まで相撲をやってきた記者にとっての原点は2代目若乃花(当時の間垣親方)との出会いだった。今からちょうど20年前の小学2年の時のことだ。相撲を本格的に始めた私は祖父母の自宅近くの寺院に名古屋場所の宿舎を構えていた当時の間垣部屋の稽古見学に向かった。激しくぶつかり合う力士の稽古を初めて見て、感激していると、親方が優しく声を掛けてくれた。

 「君は相撲やってるの?もっと近くで見ていいよ。こっちに来なさい」

 私は緊張でうまく返事ができなかったが、言われるがままに付いていき、関係者専用席で稽古を見学した。そこで親方から思いもよらない言葉をかけられた。「次は一緒に稽古してみないか。まわしを持ってきな」。数回、部屋で力士と一緒に稽古させてもらった。当時、関取だった五城楼(現・浜風親方)にも胸を出してもらい、相撲を好きになるきっかけを作ってくれた。

 親方は大ジョッキに入った青汁を飲みながら、食い入るように稽古を見ていた。指導する口数は多くなかったが、それが独特な緊張感を生み出していた。稽古では基本の大切さを教わった。「四股とテッポウは大事。四股は下に汗の水たまりができるぐらい踏みなさい」。私は衝撃を受けた。100回でもきつかった四股を親方の前で200回踏んだ。緊張もあってか、気がつけば自然と足元は汗で水たまりができていた。頑張ったご褒美にと、ちゃんこを食べさせてくれたり、部屋にも泊まらせてもらった。力士の生活を知る貴重な経験となった。

 「中学卒業したら部屋に入るでしょ」

 小学2年にしてスカウトを受けていたが、私は将来のことを考え、高校進学を決断した。それでも部屋との交流は続いた。入門を断っても、千秋楽パーティーに招待してもらうなど、お世話になった。07年の3月に脳出血で倒れたが、3年後の11年の名古屋場所の際に車椅子に乗った親方と再会した。後遺症の影響で言葉を発するのも苦労している様子だったが、手を上げて、ニコっと笑ってくれた。最後まで優しい親方の姿は忘れない。(長谷川 凡記)

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2022年7月19日のニュース