吉井怜が明かした壮絶闘病 18歳で白血病 放射線治療で全身やけどしているような…「布団すら痛い」

[ 2022年12月28日 22:01 ]

吉井怜
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 女優の吉井怜(40)が28日に放送されたNHK Eテレ「ハートネットTV」(月~水曜後8・00)にゲスト出演。22年前に「急性骨髄性白血病」と診断された当時の病状や心境、その後について赤裸々に告白した。

 2000年、グラビア撮影のため訪れていた奄美大島でこれまで経験したことのないような高熱に見舞われ、撮影中止。帰京後も全身の震えが止まらず、顔は倍近くにまで膨れ上がった。検査の結果、急性骨髄性白血病の診断。両親には知らされたが、本人は本当の病名を知らないまま抗がん剤治療がスタートした。1週間ほどで髪の毛が全て抜け落ち、入院1カ月後に本当の病名を知らされた後もさらに4カ月間の入院生活を余儀なくされたという。

 当時まだ18歳。トップアイドルへの階段を上がり始めていた矢先の出来事だった。そして、死への恐怖やつらい治療はもちろん、外見の変化が吉井を苦しめる。「その時ちょうどグラビアのお仕事をメーンにやりながらバラエティーだったりとかドラマとか出させていただいていて。ちょうど高校を卒業した時だったので仕事一本でこれからやっていけるぞ!っていう、そういう時だったから余計に休むってことに対しての恐怖感と言いますか、休んだらもう仕事、私には来なくなってしまうとか。髪の毛が抜けたら生えてくると思わなかったので。もうグラビアのお仕事もできないんじゃないかって思って。じゃあ、私はもう芸能界戻れないんじゃないかっていう。ちょっとショックが大きかったですね」。

 過去に見た映像などの影響もあって「白血病イコール治らない病気」と思い込んでいたという吉井。だが、主治医から「今は治る病気なんだよ」「大丈夫だからね」と声をかけられ「先生の言葉が大きく包んでくれた」と前向きになった。見舞いに来てくれた所属事務所社長の「待ってるからね」の一言もあり「不安も和らいだ」という。

 だが、母からの骨髄移植に備え、抗がん剤に加えて放射線治療を受けなくてはいけないということが吉井を苦しめる。放射線の照射を受けると卵巣へのダメージは避けられず「いつかは私も好きな人の子供を産みたい」という願いが絶たれることを意味していたからだった。半年間におよぶ自問自答の結果、最終的には“生き残る”可能性の高い骨髄移植を受けることを決断したが、抗がん剤による強烈な吐き気に加え、1回2時間で計5回という放射線治療では副作用で体全体が“焦げた茄子”のように変色。「全身やけどしているような」「布団すら痛い」「口の中が口内炎だらけ」「プリントとかの紙のにおいすらももう気持ち悪い」という壮絶な闘病生活が続き、術後2週間程度の記憶も全く残っていないという。

 それでも多くのものを乗り越えて01年7月11日に骨髄移植を受け、昨年にはそこから20年という大きな節目を迎えた。これを機に「ずっと一生続くんだろう」と思っていたという定期検査から「卒業してもいい」と主治医から告げられた。

 「まさか“卒業しますか?”なんて言葉を聞けるなんて。とてもうれしかったですね」と笑顔の吉井。「20年っていうのは振り返ればあっという間だった気もしますが、いろんなことがあって。どこかでずっと再発っていうことへの不安であったりとか、検査のたびに“何もないといいな”っていうのをずっと気にしながら。ちょっとでも熱が出ると“あれ?なんか…”って凄く不安になってしまう自分もいる」とし、「当時はなんで私が?なんで?なんで?って何かに当たりたい気持ちもありましたし、特に家族には八つ当たりもしてしまっていたところもたくさんあった」と回想。「今まで携わってくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいですし、私が今こうして元気でいることで恩返しができるようなことがあったらいいなと思います」と最後まで明るい表情で話していた。

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2022年12月28日のニュース