「ちむどんどん」叔母・房子には姉がいた 優子&賢三“運命の再会”包丁の贈り主も ついに明かされた過去

[ 2022年7月20日 08:15 ]

連続テレビ小説「ちむどんどん」第73話。若き日の賢三(桜田通)に包丁を送る房子(桜井ユキ)(C)NHK
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 女優の黒島結菜(25)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は20日、第73話が放送された。

 <※以下、ネタバレ有>

 朝ドラ通算106作目。タイトルは沖縄のことばで「チム(肝=心)が高鳴る様子」「胸がドキドキする」という意味。映画「パッチギ!」「フラガール」などで知られ、2014年後期「マッサン」を担当した羽原大介氏がオリジナル脚本を手掛ける。今年、本土復帰50年を迎えた沖縄を舞台に、沖縄料理に夢を懸けるヒロイン・比嘉暢子(のぶこ)ら個性豊かな4きょうだい、本土復帰からの歩みを描く。

 第73話は、1978年(昭和53年)8月。沖縄のお盆、ご先祖さまをあの世へお見送りする最も重要な日「ウークイ」に、賢秀(竜星涼)良子(川口春奈)暢子(黒島)歌子(上白石萌歌)が7~8年ぶりに実家に顔を揃えた。ちょうど和彦(宮沢氷魚)も嘉手刈老人(津嘉山正種)の取材のため沖縄入り。優子(仲間由紀恵)は亡き賢三(大森南朋)とのなれそめなど、秘めた自身の過去を4人に語り始める。同じ頃、東京のアッラ・フォンターナで房子(原田美枝子)が二ツ橋(高嶋政伸)に、鶴見・あまゆで三郎(片岡鶴太郎)が田良島(山中崇)に、それぞれの過去を打ち明ける…という展開。

 優子の回想。1944年(昭和19年)、那覇。与那城優子(優希美青)は那覇の食堂の娘だった。両親、祖父母、姉・時恵(大城ゆう紀)、弟・秀夫(阿久津慶人)の7人家族。賢三(桜田通)は与那城食堂で働いていた。当初は単なる客。上原照賢(大工哲弘)が座長を務める芸人一座の一番下っ端だった。この一座の懐具合が苦しくなり、賢三は本土へ出稼ぎに出た。

 房子の回想。房子の両親は、やんばる出身。幼い姉を親戚に預け、横浜・鶴見に仕事を探しに来た。房子は鶴見生まれ。姉には一度も会ったことがない。この姉の息子が賢三だった。つまり、房子は賢三の「叔母(母の妹)」に当たる(伯母は母の姉)。賢三は戦前、出稼ぎで鶴見に。房子は親戚に初めて出会った。賢三は明るく、三線もうまく、沖縄県人会にもすぐなじんだ。

 三郎の回想。1941年(昭和16年)、鶴見。鶴見生まれの若き三郎(田中偉登)に三線を教えたのが、賢三だった。賢三は民謡歌手になりたいと、じきに那覇に戻った。

 優子の回想。賢三は民謡歌手にはなれず、住み込みで与那城食堂の店員になった。そして、召集。中国へ出征した。

 田良島の回想。田良島の兄は1944年(昭和19年)に入兵。沖縄で戦死した。約3カ月にわたって米軍の激しい空襲や艦砲射撃を受けた沖縄戦の「鉄の暴風」を記事にして伝えたかった。

 三郎の回想。三郎は戦後、シベリアに抑留された。

 優子の回想。賢三は戦地のことをほとんど話さなかった。ただ一度、悔やみ切れないことがあると明かし「自分が正しいと思うことを守れなかったことを、凄く悔やんでいたと思う」。帰国したばかりの頃、夜に「ごめんなさい」とうなされた。

 賢三は生前、毎朝、太陽に向かって祈っていた。「お願いしたいことと謝らないといけないことがあるわけさ」(第2話)。

 1944年(昭和19年)10月10日、沖縄大空襲。那覇は焼け野原。自宅、食堂、祖父母を失った。米軍が上陸。優子は山の中をさまよい、両親、姉とはぐれ、弟の2人きりに。米兵に捕まり、捕虜収容所で終戦を迎えた。

 賢三は帰国していたものの、沖縄出身の復員兵はすぐ故郷に帰ることを許されず。「沖縄は、日本じゃなくなっていたからね」。

 房子の回想。1945年(昭和20年)冬、鶴見。空襲により、房子(桜井ユキ)は妹・智子(花岡すみれ、第43話の登場した古い写真で房子の横にいた少女)と生き別れ。房子は妹を探しながら、闇市で商売を始めた。そこへ賢三が現れた。明るかった賢三は戦争を経験し、まるで別人に。すぐ沖縄に帰れなかった賢三は、房子の商売を手伝った。料理もうまく、頼れる甥に、房子は名前入りの包丁を贈った。ずっと2人で商売を続けようと約束もした。

 翌年、賢三は沖縄へ。「家族の消息を確かめたら、すぐ戻りますと言って」。しかし、それきり、賢三が鶴見に戻ることはなかった。1年ほどして手紙が届き、優子との結婚を報告。「約束を破ってしまって、申し訳ない」。房子は裏切られたと思い込んでしまった。

 優子の回想。優子はあちこちの収容所を転々し、弟も亡くなった。1946年(昭和21年)、沖縄。1人ぼっちになった優子が生きる気力を失くした頃、賢三は自分の家族を探しに収容所へ。賢三の家族は皆亡くなっていたが、2人は再会を果たした。「運命の再会だと思った」。優子、賢三、房子、三郎の過去がついに明かされた。

 SNS上には「全部つながった」「戦争の語り。大人たちの語りはやっぱり深いな」「凄い脚本…言葉にならない」などの声も。優子が嘉手刈(津嘉山正種)の活動に参加している理由は何か。明日以降の展開も注目される。

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