「エール」古舘伊知郎 29年ぶり朝ドラの舞台裏 窪田正孝から中東情勢の質問「僕がまだ報ステを(笑)」

[ 2020年4月28日 11:00 ]

「エール」古舘伊知郎インタビュー(上)

連続テレビ小説「エール」第22話。約29年ぶりの朝ドラ出演を果たした古舘伊知郎(C)NHK
Photo By 提供写真

 俳優の窪田正孝(31)が主演を務めるNHK連続テレビ小説「エール」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)の第22話が28日に放送され、フリーアナウンサーの古舘伊知郎(65)が初登場した。国際作曲コンクールに入賞した主人公の音楽会を開催したいと申し出る興行主役。その“胡散臭さ”がインターネット上で反響を呼んだ。朝ドラ出演は「君の名は」(1991年4月~92年3月)以来、約29年ぶり2作目となった古舘に撮影の裏側を聞いた。

 朝ドラ通算102作目。モデルは全国高等学校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」などで知られ、昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而(こせき・ゆうじ)氏(1909~1989)と、妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)氏。昭和という激動の時代を舞台に、人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家・古山裕一(窪田)と妻・関内音(二階堂)の夫婦愛を描く。男性主演は14年後期「マッサン」の玉山鉄二(40)以来、約6年ぶり。

 古舘の朝ドラ出演は、女優の鈴木京香(51)がヒロインを務めた第46作「君の名は」以来、約29年ぶり2作目。古舘は主人公の友人で佐渡の詩人・本間定彦を演じた。

 今回演じるのは、愛知県で音楽関係の興行を取り仕切る鶴亀寅吉(つるかめ・とらきち)。1930年(昭5)7月、裕一(20歳)は文通相手の音(18歳)に会うため、福島から愛知・豊橋に向かう。裕一が国際作曲コンクール入賞者だと聞きつけた寅吉は、裕一と音に演奏会開催を持ち掛ける。

 ――朝ドラ出演は約29年ぶりになります。

 「当時はF1実況で世界を駆け回っていて、F1の実況が入ると『すみません、出番を少なくしてください』とお願いして、海外から戻ってきて朝ドラをちょこっとやるみたいな、不謹慎極まりないことをしてしまいました。『そもそも役者じゃないから』と文化祭気分で現場でフザケたりして。その反省があるので、もう1回、朝ドラに呼んでいただけた時は恩返しのために出なきゃいけないと思っていました。うれしかったですね。もう1つは今回、出番が少ないので、サブリミナル効果みたいなところがあって、ほとんど肉眼で確認できない(笑)。それなら、気が楽だなと思って(笑)」

 ――“反省”というのは具体的に何かありますか?

 「『君の名は』は羽田美智子さんと年の離れた夫婦役だったんですが、例えば、茶の間のシーンのリハーサルで、ピーナッツを鼻の穴に2つ入れて、ずっと彼女を笑わすんです。すると、彼女は本番でセリフが出てこなくなって。彼女は当時デビューしたばかりだったので、監督は僕への当てつけで彼女を怒ったんです。で、僕がバーンと鼻息でピーナッツを飛ばすと、彼女はまた笑って、怒られて。もう平謝りですよ。『エール』の撮影は普通にしていたので『ああ、自分も大人になったな』と思いました(笑)」

 ――今回の撮影は2日間と短かったですが、特に印象に残っていることは何ですか?。

 「スタンリー・キューブリック監督、ジャック・ニコルソン主演の映画『シャイニング』(1980年)で、山の頂上にあるホテルで舞踏会が開かれる大きなバーのシーンが好きなんですが、あれと似ていて、今回も自分が生まれ、生き、育った時代じゃない大正~昭和初期に迷い込んだようでした。朝ドラはリアルなセットを作りますから。出番が少ない分、セットの中に埋没していないので、いきなり迷い込んだ感じがありました。浅田次郎さん原作の映画『地下鉄に乗って』(2006年)で地下鉄の階段をトントンと上がった瞬間にタイムスリップしたみたいな。その時代に“迷い込んだ感”が凄くおもしろかったですね。衣装も、時代考証バッチリの、僕のおじいちゃん世代の釣りズボンのスーツと帽子で。僕は着たことがないんですが、懐かしい。『おじいちゃん、夏場こういう麻のスーツを着ていたな』とか。リトルリトル『ファミリーヒストリー』が入った感じ(笑)」

 「僕がちらほら目にした数少ないシーンだけでも感じたのは『含羞(がんしゅう)』っていうんですかね。ハニカミや恥じらい。『恥を含む』ですね。昔の男と女は、今のように愛情表現をストレートに言わない。このドラマには、その時代ならではの婉曲したセリフや表情が出てくるんです。これは『いいなぁ』と思いました。昔の男と女は、こんなふうに恥じらいを表現していたんだと。『I love you(私はあなたを愛している)』が日本に入ってきた時代、小説家の二葉亭四迷は『(あなたとならば私は一緒に)死んでもいいわ』と訳したんです。そもそも『I』や『you』というのは英語圏の根本哲学ですが、『個の哲学』ですよね。一方、東洋は、仏教をはじめとして、私がない『無私』。お釈迦さまは2500年前に『固定された私なんていない』と喝破しましたから。西洋は『自我の思想』、東洋は『無我の思想』。日本語は主体をハッキリしないでしょ?『私は言ってきます』とか『私はただいま』なんて言わないじゃないですか。のちに夏目漱石は『I love you』を『月がきれいですね』と訳しました。これもカッコよくて、『私』も『あなた』も言わず、月まで持っていって乱反射させる。その辺のまどろっこしさも含めた美学を、このドラマはうまく表現していると思います。今の人間関係が一概にギスギスしていて昔は素晴らしかったなんて言う気は全くないですが、今はすべてが情報に化け、小さな画面から光って出てくるものを情報として享受し、生身の人間同士の会話を嫌がって、若者なら携帯電話で『今日の打ち合わせはなくなりました』『了解の<り>』と書いて終わりみたいな。それも合理的でいいんですが、このドラマが描くのは、そんなスピードがない、生身の人間同士がぶつかる温かみのある時代。金粉が舞うように、それが空気にキラキラと輝いている感じがありますね」

 ――窪田さんや二階堂さんの印象はいかがでしたか?

 「窪田さんも二階堂さんも皆さん、気を使ってくださって、ありがたかったです。窪田さんは、僕がまだ『報道ステーション』(テレビ朝日)のキャスターをしていると思っていて(笑)。イラン情勢とかを質問してくれるので、イランとサウジアラビアの関係とか、本番直前まで一生懸命うんちくを垂れたりして、ほとんど芝居に集中できなかったですが、楽しかったです(笑)。もう“リトルリトルリトル池上彰”みたいな感じ(笑)。12年も報道番組を担当していたので、それぐらいは語れるんです。窪田さんには初めてお会いしましたが、共演者やスタッフに対する気遣いが凄いと思いました。主役として当たり前なのかもしれないですが、若いのに大したものだなと。ドラマは作り物ですが、窪田さんには『虚』と『実』の狭間を感じました。本番じゃない時は、役じゃないご本人の『実』の部分で共演者やスタッフに声を掛けてドラマを引っ張っているんですよね。二階堂さんは見事だった映画『私の男』(2014年)を彷彿するような芸達者ぶりを、今回も目の当たりにしました。モニターで二階堂さんの演技を見ていたんですが、内気な演技はお手のもので、そこから、はち切れる時もあるんです。はち切れすぎて、監督からストップがかかったりして。やっぱり、役者さんというのは性別や年齢は全く関係なく、それぞれ勝負どころで自己解放する。『人に非(あら)ず』と書いて俳優と言いますが、窪田さんや二階堂さんを見て、本当に『人じゃないんじゃないか』と思ったりしました」

 =(下)に続く=

続きを表示

2020年4月28日のニュース