落合博満氏 去り際の哲学は「シーズン終わったら、それで辞めればいいだけのこと」

[ 2022年4月13日 17:10 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が13日、YouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。自身の監督時代を振り返り、去り際の哲学について語った。

 シーズンも佳境に差し掛かってきた2011年9月22日。4・5ゲーム差に迫る首位・ヤクルトとの4連戦初日、大一番を前に落合氏は球団から退任を通達された。チーム内外に様々な影響を与えかねないタイミング。しかし同氏は全く動揺することなく、普段通りの姿勢で試合に臨み、そのシーズンを象徴するかのような、1点差で接戦を制した。試合後、報道陣から退任について問われ「契約書通り。この世界は、そういう世界」と一言だけ残している。

 「あの年に俺と(当時日本ハム監督の)梨田が途中で来季は契約しないっていう報道が出たんだ。で、俺は選手の前で今季限りだよということは言わなかった。ミーティングも開かなかった。やめる監督のために誰が一生懸命やる?っていうことでしょ」

 優勝に向けて突き進んでいるチーム。率いる者としての使命は、いかなる事情があろうとも勝つことを最優先に考え、その一念で任期を全うすること。だからこそグラウンド以外のことに関わっているヒマはなかった。試合前の退任会見は、当時の球団代表が一人だけで行う異例の光景となった。

 「球団は会見を開くかというから、なんで開く必要あるんだ、こんなとこで。シーズン中なんだからって。要するにシーズン終わったら、それで辞めればいいだけのことでしょって」

 観客動員数の減少による収益減などが事実上の「解任」の理由とされた。「勝つことが最大のファンサービス」と公言し、それまでの7年間、全ての年でAクラスに入るなど有言実行してきたが、チームの運営方針をめぐって、球団とは徐々に溝が生まれていった。

 「2011年というのはヤクルト戦が9試合か10試合残っていて、ナゴヤドームでね。はなっからそこでひっくり返すから。優勝するんだ、優勝するんだって言ってたのは俺一人だったから。あとは誰も信用していなかったようなものであってね、球団でも負けたら万歳していた人がいるとかっていう、そういう噂までたって新聞の記事にもなった」

 結果的には退任会見がターニングポイントとなった。ヤクルト4連戦を3勝1敗と勝ち越して勢い付くと、10月4日からのナゴヤドーム10連戦は8勝1敗1分。退任会見から10月18日の優勝決定まで、15勝6敗3分で一気に駆け抜けた。

 「あの時はオレ、偉かったのは選手だと思う。監督に有終の美を飾らせてやろうという気でやったんじゃないんだ。俺たちはここまでやってきたんだから、負けるのは自分たちの気分が悪い。悔しいっていう、その一存でやってきたんだと思うから。8年間、やってきたことに偽りはなかったんだろうなっていうのが第一印象。だからお前らよく頑張ったな、そこまで。と言うしかなかった」

 8年間で作り上げてきた戦う大人の集団。球団史上初の連覇はオレ流の集大成でもあった。

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2022年4月13日のニュース