【蘇るノムさん語録】「サッチーは嫁としては理想じゃないが結果的には」「イチローの打法は個性や」

[ 2021年6月30日 05:45 ]

セ・リーグ   阪神5-3ヤクルト ( 2021年6月29日    甲子園 )

<神・ヤ(10)>試合前の追悼セレモニーで野村克也氏の映像がスコアボードに映し出された(撮影・北條 貴史)
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 【阪神時代の野村克也監督語録】

 「プロ野球界は一般社会とつながっている。これだけの不況の中で、リストラが進んでいる。同じ世代のためにも頑張らねばと思い、最後のご奉公と思って決心した」(98年10月25日、阪神監督就任)

 「いい嫁さんもらわんと一生の不覚や。サッチー(沙知代夫人)は嫁としては理想じゃないが結果的には福まん、あげまんですよ。順風満帆からサッチーのせいで南海をクビになったけど、災い転じて福となすや。この二十数年は順調にきとる」(99年2月13日、当時独身の新庄剛志に結婚のススメ)

 「個性とは周りの人が納得、承認してこその個性なんや。そうじゃないのに“これが個性”と勘違いしている人が多い。茶髪なんて誰も認めていない。あれは流行や。イチローの打法は個性や。もう誰も文句言わんやないか」(99年4月28日、個性について持論)

 「阪神の先発はバレバレやな。すぐにベンチに上がってきよる。言わないとあかんわ。ヤクルト時代から読めなかったのは広島。左と右を2人一緒に行動させよる。中日もそうや。弱いチームはそこまで気を使わないわな。予告先発みたいや、大嫌いな」(99年5月9日、当時は非公表だった先発投手。阪神の現状をチクリ)

 「ここを見ておけ、あそこを見ておけ、とベンチで言ってるんだ。目のつけどころをね。ベンチは休憩するところじゃない。見るならスタンドへ行けばいいんだ。物の見方のポイント、そこが一番変わったところじゃないかな」(99年6月1日、野村阪神、チームの変化は?)

 「絶対的な強さを持つチームに対し、相対的な強さをアピールしないと勝てない。力以外の何かが必要になってくるんや。真理に基づいて戦うを最上策、思想で勝つを上策、という」(00年1月28日、初年度最下位の雪辱目指す2年目、久々の語録披露)

 「つくり上げたものが壊れるのは物事の原理原則。信長、秀吉、家康の時代からそれはあるものや。今年は秀吉の時代をつくる。次の人が家康になればいい」(01年1月4日、休暇先のハワイから帰国。集大成の3年目への意気込み)

 「スーパーカーはもう古い、これからの時代はF1」(01年2月6日、赤星憲広ら俊足7選手を、かつての大洋のスーパーカートリオを意識して「F1セブン」とネーミング)

 「こういう状況では、とても来季指揮を執るわけにはいかない。私の力でチームを立て直せなかったのは心残りで残念です」(01年12月6日。3年連続最下位ながら続投方針も、沙知代夫人の脱税容疑逮捕で一転。未明の辞任会見)

 《孫の忠克さんが始球式》楽天・野村克則コーチの長男で野村克也氏の孫である忠克さん(19、日大野球部1年)が始球式に登板した。「とても緊張しました。偉大な祖父だったので、たくさんの期待もあったと思うんですけど、失礼のないように、祖父に思いが届くようにという心構えでいました」。星槎国際湘南高では甲子園出場経験はなく、投球はホームの手前でワンバウンドし「悔いが残る」と話したが「自分からしたら優しいおじいちゃん」に心を込めた一球を届けた。

 《克則氏がメッセージ》試合前の追悼セレモニーでは、野村克也氏の息子である克則氏(楽天育成捕手コーチ)がビデオメッセージを寄せた。「父が在籍していた3年間は最下位という不名誉な記録でしたが、野球の基礎であるとかチームの基盤であるとか、そういったところをのこしてくれたのではないかと思っております。今はゆっくりと空の上から、野球を、ぼやきながら観戦しているのではと思っております」。その後は生前の野村氏の追悼映像が放映され、黙とうがささげられた。試合は両チームの球団旗が半旗で掲げられた。また、この日の入場者には野村氏の名言を語録集にした「野村ノート」が配布された。

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