ジャイアンツ3A・山口俊の19年オフ米球界移籍の舞台裏 当時から巨人に感じる恩義の背景は…

[ 2021年6月3日 05:05 ]

ジャイアンツ傘下AAAのサクラメント・リバーキャッツでプレーする山口俊
Photo By ゲッティ=共同

 ジャイアンツ傘下3Aサクラメントの山口俊投手(33)が退団の意向を伝えたことが2日、分かった。米球界移籍2年目の今季はマイナーで5試合(先発4)登板し、0勝3敗、防御率6・17だった。帰国が正式に決まれば、メジャー移籍前に所属した巨人が入団交渉に入るとみられる。

 山口にとっては19年オフに球団史上初めてポスティングシステムを利用しての米移籍を認めてもらった恩義がある。当時、巨人球団は山口に対して最大限の誠意を持って送り出した。右腕が納得できるメジャー契約が結ばれなければ、巨人との再契約を認めることまで約束して背中を押している。

 なぜ巨人は「超特例」とも言える球団史上初のポスティングシステムを適用したのか?

<(1)契約事項>
 16年オフにDeNAからFA移籍した際、時期を確定せずにポスティングをできる権利が条項として付けられていた。米移籍時の19年には首脳陣が一新されていたが、契約を受け継いで履行した。

<(2)優勝への貢献度>
 だが、契約書には時期が確定されていない。なぜこの年に米移籍に至ったのか。理由は5年ぶりリーグ制覇の「功労者」だった点が大きい。リーグ最多15勝を挙げ、奪三振王、勝率第1位にも輝いた。巨人は山口の貢献度に対して、ポスティングという形で誠意を見せた。

 19年11月18日。メジャー挑戦の表明会見には山口と並んで、原監督と今村司球団社長が同席した。山口は「私の夢でもありましたアメリカ大リーグに挑戦させていただく。生半可な気持ちではいけない。結果を残すことが巨人への恩返し」と顔を紅潮させて話した。

 巨人は移籍後も1年間は「背番号11」を空き番にし、オフには川崎市のジャイアンツ球場など球団施設での自主トレを認めるなど、門戸を開いてきた。山口の帰国が正式に決まれば、交渉に入るとみられる。山口の胸には今でも、米挑戦時の多大なる恩義があるだろう。

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