中村勝広さん甲子園で別れ 吉田義男氏弔辞「魂は永遠に消えない」

[ 2015年11月20日 05:30 ]

弔辞を読む吉田義男氏

 9月23日に脳出血のため66歳で急逝した阪神ゼネラルマネジャー(GM)・中村勝広氏のお別れの会が19日、甲子園球場で開かれ、関係者約600人、一般ファンも約1000人が参列、別れを惜しんだ。元監督の吉田義男氏(82)が弔辞を読み、長男・大輔さん(34)が謝辞を述べた。早大の後輩、鳥谷敬内野手(34)は中村氏の悲願だった優勝を達成しての恩返しを誓った。

 懐かしい甲子園球場に帰ってきた「野球人・中村勝広」を多くの人びとが迎えた。関係者に一般の人を合わせ約1600人が悲しみを抱き、別れを告げに来た。

 「秋深く――」と吉田氏が弔辞を読み始めると冷たい風が吹いた。「あなたの魂は永遠に消えることなく、同じ志を抱く者の心を照らし続ける。教え子たちは近い将来、必ずやあなたの胸に大いなる栄光をささげるでしょう」。曇り空から悲しい涙雨が落ちた。

 中村氏は2軍監督で胴上げされた1986年を除き、選手、コーチ、監督、GMで優勝経験がなかった。9月23日の急死も前夜、巨人に敗れ、優勝の望みがほぼ消えた直後だった。弔いの優勝を一塁ベンチ前に整列した全選手、首脳陣が誓ったことだろう。

 東京から駆けつけた江夏豊氏(67)は「寂しいよな」と漏らした。今年2月の沖縄キャンプで臨時投手コーチを務めたのはGMだった中村氏に口説かれたからだった。「カツに乗せられて何十年ぶりかにグラウンドに立って…。そのカツが俺より先に天国に行ってしまうんだから」。早大から入団した72年、二塁手で失策すると、マウンドの江夏氏から慰められた。会えば同じ話を繰り返した。「思い出が懐かしい」間柄だった。

 同い年の川藤幸三OB会長(66)は現役時代「カツ・カワ」と呼び合い、引退後は監督とコーチ、GMとOB会長の間柄で意見を戦わせた。「これだけ立派な会をやってもらってもな」と悔しさを吐きだした。「生きて、ケンカするのがワシらの関係やろう」。

 「マイ・ウェイ」「ふるさと」「仰げば尊し」…と愛したBGMが涙を誘う。全員が献花を終えるころには少し日が差した。甲子園は天国への旅立ちを祝っていた。(内田 雅也)

 ◆中村 勝広(なかむら・かつひろ)1949年(昭24)6月6日、千葉県生まれ。成東―早大。71年ドラフト2位で阪神に入団し、主に二塁手として活躍。オールスター出場3度。82年に現役を引退。通算成績は939試合で打率.246、76本塁打、219打点、74盗塁。2軍監督、1軍コーチを経て90年から95年途中まで監督を務めた。スポニチの評論家を経て03年にオリックスGMに就任。06年には同チームの監督として現場復帰した。1年で辞任し、その後は球団本部長などを歴任。12年9月に阪神球団初のGMに就任した。

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