歴史的8強への道…4年前の南ア撃破が負け犬根性を変えた

[ 2019年10月21日 08:30 ]

ラグビーW杯準々決勝   日本3―26南アフリカ ( 2019年10月20日    味スタ )

15年南ア戦勝利は日本躍進の土台となった
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 今大会の日本の躍進の土台となったのは、「ブライトンの奇跡」「世紀の番狂わせ」と称賛された、15年9月19日、W杯イングランド大会初戦の南アフリカ戦勝利だった。コーチングスタッフが変わり、選手が変わり、戦術も変わった現代表においても、4年前の大金星がベースとなった理由に迫る。

 15年大会に出場した現在の代表選手は10人。稲垣、堀江、トンプソン、リーチ、ツイ、マフィのFW6人と田中、田村、松島、福岡のバックス4人だった。福岡を除く9人は、4年前の試合に出場していた。

 11年大会はジョン・カーワン・ヘッドコーチ(HC)が「2勝」を目標に掲げた。初戦でフランスに善戦後、続く開催国のニュージーランドにはセカンドチームをぶつけた。用兵に王国は激怒しメンバーを落としたが、7―83の完敗。リーチも「恥ずかしかった」と当時を回顧する。

 カーワン氏が去った代表には、知日家のエディー・ジョーンズ氏が新HCに就任。日本人の従順さや勤勉さを生かし、徹底管理の下でハードワークを課し、心根から鍛え上げた。今でこそ、リーチは「たくさんいじめられた」と笑って振り返るが、心身ともに極限まで追い詰められ、W杯を迎えた。そして、南アフリカに勝利。4年間の苦闘は勝利の瞬間、自信へと変化した。

 残りの21人は、それぞれの心境、場所で試合を見つめ、その後の人生が変わった。

 南ア出身のラブスカフニは来日前だった。地元のバーで観戦し、終了間際の日本のスクラム選択に「勇敢さに感銘を受けた」。その後、日本からオファーが届いた。断る理由は一つもなかった。

 13年5月に代表初キャップを獲得し、15年大会を目指していた中村は、夏前にメンバーから落ち、気持ちはくすぶったままだった。「実力不足を認められない自分がいた。でも試合を見て、初めて認められた」。体格、身体能力、全て「ごく普通」の自分が生き残るため、ひたすらにタックルを磨いた。

 帝京大に在学中だった姫野、坂手、松田の3人は、寮でテレビにかじりついていた。3人とも将来の代表候補と目され、姫野や坂手は実際に合宿に参加したこともあった。坂手は「日本のラグビーが変わって、僕たちも選手として意識が変わった」といい、姫野は「自分が出ていたかもしれないと思うと、悔しかった。4年後は絶対に出る」と誓った。

 日本人は弱い。日本人は小さい。W杯では11年大会まで、1勝2分け21敗で負け犬根性がはびこっていた日本ラグビー界を一変させたのが、4年前の衝撃的勝利。4年後、勇猛果敢に戦った日本代表の礎となった。そしてこの日。同じ相手に喫した黒星が、次代の始発点となる。

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