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満足 人生かかった竿一筋

[ 2019年6月17日 07:14 ]

浅野さん、ゆっくりと誘って                           
Photo By スポニチ

 【根ほり葉ほり おじゃま虫ま~す】聖地・盤洲にも初夏の訪れ。アクアライン真下のキスが上向きだ。まだ大小はあるものの時には25センチ級も交じる。代表的な小物釣りを楽しむ人たちを、と葛西橋・第二泉水におじゃま虫ました。(スポニチAPC 町田 孟)

 釣りと心中した男がいる。“釣りバカ”なのか、いちずなのか。「僕はこんな楽しく過ごせた人生に満足しています」。そう言い切るのは浅野始さん(68=江東区)だ。生まれも育ちも第二泉水から徒歩10分。10歳くらいから周囲の釣り好きに鍛えられた。地の利とセンスでめきめき腕を上げた。中学時代には釣り大会で優勝、「副賞が日本酒」という笑い話も。

 熱中時代を経て型破りな20代に突入する。学校を卒業し一応就職。だが、上司との折り合いが悪く「2年ほどで辞めちゃった」。以来約13年間は放蕩(ほうとう)無頼の時代だ。「ありとあらゆるバクチをやりました。特にパチンコでは生活費を稼いでいた」。手打ち時代、1日5000円。「大学生の初任給くらいはあった」。その間も竿は手放さず「息抜きがパチンコ」だった。

 35歳を機に立ち止まった。「この年が就職可能な限界だと思った」。幸い溶接技術の国家資格を持っていた。好条件で誘われ勤め上げた。むろん“我が道”には曲がりなし。「月に8~10回は通った、いやそれ以上か。でも人の3倍働いた」。

 タナゴ、ハゼ、キス、フグ、アユ、ヤマメ、オイカワ。野ベラは「波打つ川でやるのが好き。マニアックなのが多くてね」。立ち込みのハゼが得意。江東区と墨田区の「チャンピオン」。現役時代には度が過ぎて椎間板ヘルニアで「45日間」会社を休む羽目にもなった。

 天涯孤独だ。昨年、5年ほど介護していた母親を90歳でみとった。父、弟、妹も既に他界。「同棲はしたけれど結婚は一度もない」。しかし寂しさはない。「縁あって赤の他人のオジサンの家に長らく居候していた。そこの家族がいるし」。思うがごとく生きるには、巡り合わせと相応の覚悟が必要なのかもしれない。

 年金と貯えで十分生活できる。貫いた信念に「全く悔いなし」。エンジョイマイライフを語る表情に喜びがにじむ。そういえばキスは漢字で魚ヘンに喜だ。

 ○…左舷大ドモに陣取った永田幸見さん(65=市川市)は23センチと24センチを含め51匹。キャリア1年とは思えない腕前。かつて引きこもりになり「自分の部屋から一歩も出られなかった」。見かねたご主人の久雄さん(68=会社経営)にパソコンを勧められて画面とにらめっこ。主婦ながら「株でかなりもうけました」。ゴルフにも挑み、現在は釣りがメイン。「大きいのは刺し身で。あとは従業員に配ります」。日並み同様良い一日だったようだ。

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