岩田明子氏 命の危険を感じた海外取材「生きて帰れるかな?って、涙ちょちょ切れちゃいました」

[ 2023年4月18日 14:59 ]

岩田明子さん
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 元NHK解説委員でジャーナリストの岩田明子氏が17日、ニッポン放送「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」(月~木曜後3・30)にゲスト出演し、命の危険を感じた取材現場について語った。

 NHK時代は事件記者、政治記者などを歴任した。「海外出張は私、すごく多かったので、G7、G20、APEC、国際会議も行きましたし、バイ(1対1)の会談も、若いころは行っていました」。印象に残った海外取材としては、イラク戦争のさなかに行った首都バグダッドを挙げた。

 「2009年だったから、迫撃砲も飛んでたんですよ。防弾車、防弾チョッキ、オーストラリアの警備会社で傭兵を雇って…という世界で、初めて命の危険を感じましたね」

 オーストラリアの傭兵の行動一つにも驚いたという。「傭兵がちょっとカサっと音がすると、ガーっと撃つんですね。私の頭の中では、撃ったら撃たれるという思いがあったので、“やめてくれ”と言うんですけど、(傭兵は)“撃たなきゃ撃たれるでしょう”ということで。生きて帰れるかな?って、涙ちょちょ切れちゃいましたけどね」と振り返った。

 防弾車の装甲にも不安を感じたという。「“防弾車、何発まで耐えられるの?”って聞いたら、“7発まで”って。意外に少ないな、みたいな」。地雷が埋まっている地帯にも入ったそうで、「危険なレッドゾーンみたいなところに入ると、“足を上げろ”というんですよ。地雷があるからという意味だから、すごくリアルで怖いじゃないですか?初めて普通に元気で生きていられるありがたさと、無事に普通に帰るありがたさを感じて、本当に怖かったですね。来て、来なきゃ良かったみたいに思いました」と本音を漏らした。

 ドバイから空路、バグダッド入り。着陸方法も、戦時中ならではだったという。「ドバイからバグダッドで、ジュピターというインターネットにも乗ってないような、傭兵専用の飛行機だったのを覚えてますね。らせんを描きながら離陸するんですよ。着陸もらせんを描いて着陸するんです」。すると、キャスターの辛坊治郎氏は「空港の外へ出ちゃうと、下から撃たれる可能性があるので、空港の上を旋回しながら上がって行くんですね」と補足解説していた。

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2023年4月18日のニュース