中森明菜 昭和の閃光 BS-TBSの永久保存特番

[ 2022年11月1日 08:00 ]

中森明菜(C)野村誠一
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 【牧 元一の孤人焦点】鮮烈な場面がある。中森明菜が歌っている途中で目に涙を浮かべ始める。何かの受賞で感極まっているわけではない。自ら歌う曲の主人公に同化して泣いているのだ。歌が進むにつれて涙の量が増していく。それでも全く音程は乱れない。くっきりとメロディーが紡がれ歌詞がより強く響く。こんな歌唱ができるのは、過去には美空ひばりさんくらいか…。BS─TBSの特別番組「中森明菜デビュー40周年 女神熱唱!喝采は今も」(4日後9・00~10・54)のワンシーンだ。

 プロデューサーの落合芳行氏は番組の成り立ちをこう話す。

 「明菜さんがデビューした1982年は多彩な人が出て『花の82年組』と言われた。みなさんは今でもご活躍されているが、明菜さんはしばらく活動を休止されているので、逆に気になる。明菜さんの40周年はどうなるのだろう?というのが発端で、今年の春くらいに局側に企画を提案して映像素材の洗い出しやインタビューなどの作業を始めた」

 ところが、途中で思わぬ事態が発生した。8月30日、明菜がツイッターで、40周年のメッセージとともに新たな事務所の設立を発表。制作陣は旧事務所と企画のやりとりをしていたため、一瞬、制作が宙に浮くような形になった。

 落合氏は「かなり制作が進んでいた。どうなるのかと思って周辺で事情を聴いたりもしたが、新事務所の方から各局に通知をいただいていたので、ストレートにメールで企画の内容をお送りしてお願いしたところ、すぐに『楽しみにしております』という前向きなご返答をいただいた。8月の発表でご本人のメッセージを久しぶりに得ることもできたので、番組をお伝えする良い機会に恵まれたと思う」と振り返る。

 番組では「ザ・ベストテン」や「日本レコード大賞」など、TBSに数多く残された貴重な歌唱映像が流れる。特徴は、デビュー曲「スローモーション」(1982年)から、「難破船」(87年)や「TATTOO」(88年)まで明菜の全盛期と言える80年代の曲に特化していること、そして、それぞれの曲をたっぷり聴かせることだ。

 「結果的にそういう形になった。明菜さんはデビューから3年目、4年目の85年、86年にレコード大賞を連覇した。そこが一つの大きな山で、その後、87年の『難破船』の頃にもう一つのピークを迎えるというのが個人的な印象だった。TBSにある素材で強いのが80年代のものだったということも大きい。歌をたっぷり聴かせのはBSだからできる部分がある。空気感が違う地上波ではツーコーラスを流し切る勇気がなく、いろんな要素を入れがちになる。BSではわれわれ作り手もどっしり構え、余計なことをやらなくていいと割り切れる。結果的に、いちばん見たいものを見られる気がする」

 各局の数多くの音楽番組の中で今なお強い光を放つ「ザ・ベストテン」と「日本レコード大賞」の映像がTBSに残っていることがこの特番の成立要因と言っても良いだろう。

 「常に先輩に『よくぞこれを撮っていてくれた』と感謝している。アーカイブの番組を一緒に作る制作会社のスタッフなどからよく『TBSの音楽番組の映像は強い』と言われる。ポイントはアップで、通常は状況説明のために引きの映像を入れていくものだが、寄りから動かない。特に、受賞という特別なシチュエーションがあるレコード大賞が顕著だが、ほかの音楽番組でもかなり寄っている。編集していて先輩たちのこだわりをひしひしと感じる。『ザ・ベストテン』に関しては大先輩の山田修爾さんが『ザ・ベストテンはニュースだ』と言っていた。放送時間帯に歌い手がどこにいるのかを事前に探り、なるべくそこに近い場所で歌ってもらおうという趣旨があった。だから、しばしば、車から降りたところや駅のホームなどから中継することになった。それらの映像は今見てもワクワクする」

 番組では「少女A」などを手がけた作詞家の売野雅勇氏、「難破船」を作詞・作曲した歌手の加藤登紀子、初期の頃のジャケットを撮影した写真家の野村誠一氏らのインタビュー映像も流れる。

 「当時の関係者の話を聞くと、明菜さんの存在感の強さ、自分自身をプロデュースしていたことが分かる。それが歌唱映像にも現れている」

 番組を見て改めて感じるのは、80年代の明菜の圧倒的な歌のうまさだ。それは現在の歌唱力のある人たちとはまた違う、独特のもの、唯一無二のもので、その時代にしか存在しない。この特番は「昭和の閃光」を明確に収めた永久保存版である。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局総合コンテンツ部専門委員。テレビやラジオ、映画、音楽などを担当。

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