20世紀最後の紅白歌合戦、お笑い界ビッグ2乱入の舞台裏

[ 2020年4月19日 15:00 ]

2000年大みそかの第51回NHK紅白歌合戦で共演した志村けんさん、ビートたけし(左から)
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 【山崎智彦の元芸能デスクの取材ノート】2000年12月31日。千年紀の、そして20世紀最後のNHK紅白歌合戦は、2人の大物お笑いスターの「飛び入り」が話題になった。当時は音楽担当記者として11年目。国民的音楽番組を会場(NHKホール)の楽屋付近で取材した。

 生放送番組のステージ裏は戦場。紅白ほど大規模になると、50組以上の出場者に加え、そのバックダンサーや「応援者」、スタッフまで相当数が出入りする。舞台に続く狭い通路には人があふれ、「どいて、どいて」「(導線を)空けて!」などの怒号が響く。出番を待つ人、出番を終えた人の往来が激しい中、芸能記者たちは舞台袖付近のわずかなスペースに張り込む。

 計56組の出場者の34組目。この年の新人賞レースを総なめにした氷川きよし(42)が初出場。応援にはビートたけし(73)と、先月29日に急逝した志村けんさん(享年70)が駆けつけた。デビュー曲「箱根八里の半次郎」にちなんで、歌唱前に股旅の寸劇を披露。氷川が演じる半次郎の敵役として、お笑い界のビッグ2が「斬られるためだけ」にやって来た。

 いずれも初の紅白出演。当時の取材ノートを読み返すと、“らしい”やりとりに今でも吹き出しそうになる。

 <寸劇:股旅を探し回る悪党たち>
志村さん「半次郎はいたのか?」
 たけし 「え、葛飾柴又の?」
 志村さん「それは寅次郎だ」

<股旅を見つけた悪党たち、刀を抜く>
 志村さん「半次郎のやつを叩き切れ」
たけし 「…」
  <半次郎ではなく、仲間の志村さんを叩き切ってしまう>
 志村さん「アイーン!」
 たけし 「コマネチ!」

 もともと、たけしは氷川の芸名の「名付け親」を引き受けた縁でデビュー当時から応援。志村さんとは当時テレビ朝日「神出鬼没!タケシムケン」のレギュラーを抱えており、番組を通じてもプッシュした。紅白10カ月前の2月29日には、氷川のデビューヒット祈願にそろって同席して「紅白歌合戦に出場できたら一緒に出ちゃうから」と「乱入」を予告。演歌界のプリンスも期待に応えて急成長した。

 公約を果たし、出番を終えた2人は歩きながらの「ぶら下がり取材」に応じてくれた。番組スタッフ側が練ってきた台本には当初、乗り気ではなかったようで、たけしは「1人だったら恥ずかしくて絶対できねえよ」と苦笑い。志村さんも同じ気持ちだったようで、「箱根八里の半次郎」のサビの歌詞を引用しながら「こっちの(俺たちの)方が“やだねったら、やだね”だよな」とNHKらしいベタな演出にぼやいた。

 そんなやりとでさえ、コントの延長に見えた2人。志村さんの悲報に、たけしは「ちょっとね、鬱になっちゃって。ノイローゼになっちゃって…」とテレビ番組で胸中を告白。同じ在京芸人から見ると「正当な東京のコントだった。関西のお笑いが入ってきたけど、その防波堤だった」と振り返り、「俺にこぼしたけど、しゃべれないんだよ。フリートーク下手だと話していた」と秘話も紹介した。

 2人を取材して共通な一面を感じたのは、番組での姿とは対照的に実はシャイだということ。20年前の大舞台共演。出番前にステージ袖で2人で打ちあわせていたことは、「1人じゃ恥ずかしいから、手をつないで歩こう」だった。(専門委員 山崎智彦)

 ◇山崎 智彦(やまざき・ともひこ) 1990年入社。ジャニーズ事務所やビジュアル系ロック、演歌など幅広く音楽界を取材。マドンナ、マライア・キャリーら海外スターへのインタビュー経験も豊富。文化社会部デスク、静岡支局長を経て19年から編集局デジタル編集部専門委員。

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