「栗林良吏」から手紙が届いたあの日…指名漏れの悔しさ乗り越え、父の前で初登板初セーブの快挙

[ 2021年3月28日 05:30 ]

セ・リーグ   広島4-1中日 ( 2021年3月27日    マツダ )

<広・中(2)>プロ初セーブを挙げウイニングボールを手にする栗林(左)に佐々岡監督も満面の笑み
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 広島のドラフト1位・栗林良吏投手(24)が27日の中日戦で、史上5人目となるプロ初登板セーブの偉業を成し遂げた。2003年の永川勝浩(現広島1軍投手コーチ)以来18年ぶり。救援陣の失点で逆転負けした開幕戦から一夜明け、「新人守護神」が1回完全デビューを飾り、本拠地マツダスタジアムのお立ち台に上がった。

 抑えを託された以上、新人の初々しさは表情の奥底に隠した。「重圧より結果を出して恩返ししないといけないという気持ちが強かった」。栗林のプロ初登板は4―1の9回。セーブシチュエーションだった。

 先頭の京田はカウント1―2から勝負球フォークで二ゴロ。続く木下拓は初球のカーブで投ゴロに仕留めた。根尾には、この日最速の150キロを計測して追い込み、最後はフォークを選択。外角に決めて空振り三振を奪うとマウンド上で跳ねるようにして拳を握った。「必ず勝って帰ろうと。もう、お願いします…という感じだった」。満面の笑みは、隠し通した極度の緊張を物語っていた。

 愛知県出身で幼少期は中日ファン。大学4年のドラフト会議当日、実家に栗林宛ての手紙が届いた。差出人も同じく「栗林良吏」。小6時に学校の企画で制作したタイムカプセルだった。タイトルは「10年後の自分へ」。「僕はかしこくないけど野球が好きです。プロ野球選手になりたいです」と書いてあった。中日の選手に憧れて書いた手紙が、偶然にも運命の日に届いた。

 名城大4年時のドラフトで指名漏れしても夢を諦めず、2年後に同1位で広島に入団し「新人守護神」を務めることになった。そして、03年永川以来の初登板セーブ。父・秀樹さんが観戦する前での達成だった。

 「たくさん迷惑をかけた。父が来てくれたときには、必ず抑えられるようにしたい」

 中学では「硬式のチームでやりたい」と父親に泣きながら頼んでも聞き入れてもらえず、高校進学の際に「私立で野球をやらせてください」と再び涙を流すと認めてもらえたという。「進路のたびに親とぶつかった。そこが自分の分岐点だった」。勝利球は妻・沙耶さんに渡す予定だが、断られれば父親に…と計画して苦笑いする。

 「永川さん以来の(新人での)抑えなので、記録に並べたのはすごくうれしい。ここからが大事だと思う」。初登板を乗り越えて、新人守護神はまた一つ頼もしくなった。 (河合 洋介)

 【記者フリートーク】沖縄春季キャンプ地のコザしんきんスタジアムは、メイン球場と室内練習場が50メートルほど離れている。その動線を、栗林は毎回下を向いて歩いていた。「僕にとっては、あの時間だけが休憩だったのかもしれないですね」と苦笑いする。ドラフト1位として常に注目され、先輩らへの気配りも絶えない環境に気が張っていたのだろう。誰とも目を合わさないわずかな時間で、気持ちを落ち着かせていた。

 そんな繊細な一面をグラウンド上では一切見せることなく、初登板も堂々と振る舞った。キャンプ序盤に会沢から「マウンドでは堂々とするように」と伝えられたことを胸に刻んでいる。「自分は陰キャラですから」と冗談交じりに説明するが、この切り替えのうまさも抑え向きである。(広島担当・河合 洋介)

 ▼広島・永川投手コーチ(栗林について)投手としての完成度は僕より全然上。もっともっと頑張ってくれるのではないか。

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