今季で引退 阪神・横田慎太郎を愛し、寄り添ったコーチ、スカウト、フロントマンそして指揮官

[ 2019年10月28日 08:30 ]

引退セレモニーで胴上げされる阪神・横田(撮影・坂田 高浩)
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 魂のバックホームから早くも1カ月がたちました。虎ファンにとっては記憶に新しい出来事。9月26日は今季限りでの現役引退を表明した阪神・横田慎太郎にとっての最終戦だった。事実上の引退試合では人々の心を打つ決死の全力プレーを見せた。

 その舞台裏では若虎の復活を必死に支えた多くの人たちがいた。17年の春季キャンプは1軍スタート。レギュラー奪取へ向けて意気込んだ矢先に悪夢が襲った。その異変を誰よりも早く感じていたのが実は当時の1軍外野守備走塁コーチ・中村豊だった。

 「どう考えても、横田本来の動きではなかった。最初は気のせいかとも思った。でも、明らかに違った」

 入団以降、何千本もノックを打ち、真剣に選手の動きを見てきたからこそ“違和感”に気づいた。第1クール中の守備練習で打球を捕球する動きが以前とは違ったという。即座に直接確認すると本人が「実は目が…」と心に秘めていた異変を告白。目の不調を疑った同コーチはすぐに「眼科でみてもらった方がいい。早く行きなさい」と促した。これが事の発端だった。当初は目の不調と思われた体の異変は精密検査を進めるにつれて命にかかわる重大な病であることが発見された。

 「あの時、中村コーチが気づいたから早期発見につながったんだ。横田は何事にも我慢して、必死に練習する選手だから…。もし中村コーチが何も言ってなかったらと思うと…。想像もしたくない」

 当時、ある球団関係者が真相を明かしていた。記者として掛けだしの頃に名コーチの島野育夫からある事を聞かされた。「コーチはな。ウオーミングアップから真剣に見ないとアカン。毎日、毎日見ていると異変に気づくんや。選手は故障とか隠したがるものなんや」。この言葉を思い出した。最近ではウオーミングアップに熱視線を送る指導者は減っている。しかし島野が亡き今も大切な教えを知る中村豊の存在が選手を救ったと言っても過言ではない。

 また、一人のスカウトも横田に最後まで寄り添った。それは担当スカウトの田中秀太。脳腫瘍が発覚した当時は人目をはばからずに泣いていた。「何で、横田やんな。一生懸命にやる横田に…。何でや。野球の神様はおらんのか。もしプロになっていなければ(病気にもならなかったかも)とも考えてしまう。俺がかわれるものからかわってやりたい」。本人以上に落ち込む姿には返す言葉もなかった。ただ入院中、リハビリ中は努めて明るく接して勇気を与えた。しかし最後となった引退試合では再び号泣する姿があった。

 闘病中には当時の監督だった金本知憲は何度も病院に駆けつけていた。指揮官としての激務の合間をぬって教え子に会いに行った。「何が好きだとか、何が食べられるかとか、いろいろ聞いてな。持っていったよ」。店に無理を言って作ってもらった寿司や肉の弁当を持参して見舞った。また、今だから書けるが…。「いろいろ金がかかるからな。少しでも足しになればと思ったんや」。自腹で用意した相当額の見舞金も手渡していたのだ。

 その一方で、引退試合の数日前には球団広報の新田慎也から一通のメールが私に届いた。「最高の形で横田を送り出したく思います。ご協力のほどよろしくお願いいたします」。フロントマンも休日を返上して一生懸命に準備を進めていた姿を知っている。球団としての熱意を感じた。

 また、引退セレモニーにはチーム最年長の福留も駆けつけた。「俺がユニホームで行ったら自然と強制になるからな。“(福留さんが)行くなら俺らも行かないとダメだよな”となるからな。予定のある選手もいるだろうし。こっそり行く」。他選手に気を遣いわざわざ私服に着替えてベンチ裏で最後の勇姿を見守り、試合後には温かい言葉で慰労した。

 昨年は2軍監督として背番号124を励まし続けた矢野監督も報道陣からの問いかけにも最後は涙で言葉にならなかった。すべては横田の頑張りが人々の心を動かした。最近は「若手が育たない」、「選手への配慮が足りない」など球団の姿勢を揶揄(やゆ)する声もある。しかし、阪神タイガースには選手を異変に気づくコーチがいる、入団から引退まで面倒を見ようとするスカウトマンもいる、一生懸命に働くフロントマンもいる、愛情あるベテランもいる、そして選手に寄り添う指揮官がいる。(山本 浩之)

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