V9戦士 土井正三氏、巨人3連覇見届け死去

[ 2009年9月26日 06:00 ]

1969年の日本シリーズ第4戦で捕手・岡村浩二の股の間から左足を出しホームベースを踏む好プレーで生還する土井正三

 巨人のV9戦士で元オリックス監督の土井正三(どい・しょうぞう)氏が25日、すい臓がんのため都内の病院で死去した。67歳だった。兵庫県神戸市出身。土井氏は07年3月にすい臓がんの手術を受け、一時は回復も見せていたが、入退院を繰り返して今年8月下旬からは肺炎を患って入院していた。現役時代「バントの名人」とうたわれた名脇役は、職人肌のプレーで不滅の9連覇に貢献。引退後も指導者、解説者として活躍した。レギュラーのV9戦士では初の訃報に、関係者からは惜しむ声が相次いだ。

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 強い巨人の復活に安心したのだろうか。優勝から2日。V9以来の3連覇を見届けるように、栄光のV9戦士は天国へ旅立った。巨人黄金期の名二塁手だった土井氏。がんとの壮絶な闘いだったが、最期は眠るように安らかだったという。
 土井氏は07年2月にがんの告知を受け、都内の病院で手術を受けた。胃まで摘出する大手術で術後は高熱で危険な状態も続いたが、不屈の闘志で回復。同年6月には東京ドームでの巨人5000勝の記念イベントに車いすで参加し、二塁のポジションで立ち上がって大歓声に応えた。「V9の仲間ともう一度グラウンドに立ちたかった」。グラウンドで見せた最後の“巨人魂”だった。
 一時は奇跡的な回復を見せたが、昨年は腸閉塞(へいそく)を患うなど入退院を繰り返し、今年8月下旬に肺炎で入院。家族は主治医から「あと1カ月も厳しい」と告げられ、長男・健一氏から連絡を受けたV9の仲間が見舞った。長嶋氏が病室に入ると、夢だと思ったようだったが「おい、土井!夢じゃないよ、オレだよ」の声に涙を浮かべて喜んだ。「頑張れ」には「はい」と答え「また来るからな」にも再び涙を浮かべたという。
 今月7日に見舞ったヤクルト・高田監督にも呼吸器越しに「ありがとう」と話したが、その時点で「あと2、3日」と言われていた。しかし、巨人の優勝を待っていたのか。健一氏によると「最後は話すこともままならかった」が、23日の巨人の優勝はテレビを見つめていたそうで、この日午前11時半ごろに意識がなくなり、0時24分に静かに息を引き取った。
 土井氏が立大から巨人へ入団したのが65年。不滅のV9は同年から始まった。職人肌のプレーで鉄壁の守備を誇り、バントの名手としても有名だった。「石橋を叩いても渡らない」と言われた手堅い川上野球には欠かせない“いぶし銀”。69年の阪急との日本シリーズ第4戦で見せた本塁突入は今でも語り草だ。
 その性格は頑固一徹だった。入団時の65年。王をダウンスイングで成功させた荒川打撃コーチからフォーム矯正を指示されても「自分のフォームで打たせてください」と拒否し、紅白戦で打ちまくってレギュラーをつかんだ。オリックス監督時代の93年、前年にウエスタン首位打者となったイチロー(現マリナーズ)を1軍で使わなかったことは有名。非力で独特の振り子打法を矯正しないことが理由だったが、プロの厳しさを教え込む狙いもあった。独自の育成論を貫いて、指導者としての頑固さも見せた。
 巨人へ入団が決まって立大の先輩・長嶋氏の自宅へあいさつに行ったとき、帰り際に「寒いからこれを着て帰れ」ともらったセーターを大切にしまっていた。巨人を愛し続けた土井氏。2年7カ月も闘病生活を続け、V3達成まで頑張らせたのは不屈の“巨人魂”だったのかもしれない。

 ◆土井 正三(どい・しょうぞう) 1942年(昭17)6月28日、兵庫県生まれ。育英―立大を経て、65年に巨人入団。68、69年にベストナインを獲得し、78年現役引退。通算成績は打率・263、65本塁打、425打点、135盗塁。巨人では79年から長嶋監督の下で2年間、86年から王監督の下で3年間、守備走塁コーチを務めた。91年、オリックス監督に就任。3年連続3位で93年に退団した。

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