ヤクルト・村上50号に神宮総立ち!王超え最年少22歳7カ月 「誇り」松井以来20年ぶり日本人大台

[ 2022年9月3日 05:30 ]

セ・リーグ   ヤクルト5―0中日 ( 2022年9月2日    神宮 )

<ヤ・中>3回、3ランを放つ村上(撮影・島崎忠彦)
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 ヤクルトの村上宗隆内野手(22)が2日、中日戦で3回に大野雄大投手(33)から決勝の右越え3ランを放ち、50本塁打に到達した。日本選手では02年の松井秀喜(巨人)以来20年ぶり6人目。22歳7カ月での到達は王貞治(同)の24歳3カ月を上回る史上最年少記録となった。次なる目標は王が持つ日本選手最多の55本、バレンティン(ヤクルト)が持つプロ野球記録の60本。そして「令和初の3冠王」だ。

 強烈な衝撃音を響かせ、白球があっという間に右翼席中段へ消えた。刀を収めるようなしぐさで、バットを右手に持ち替えた村上が、ゆっくりと走り出す。神宮は総立ち。歴史的一発は、これぞホームランという完璧なアーチを描いた。

 「いい角度で上がってくれたので、入ったかなと。行ったと思いました」

 3回1死一、三塁、大野雄の外角に甘く入った133キロカットボールを逃さず、先制の3ランを運んだ。64年の王貞治の24歳3カ月を抜き、史上最年少の22歳7カ月で50号に到達。着弾点で記念撮影が行われた記念球は、ファンの協力もあり手元に戻った。

 02年の松井秀喜以来となる日本人選手の大台。ヤンキース移籍前年、高卒10年目の28歳で到達した領域に、村上は同5年目の22歳で足を踏み入れた。「この番号をもらった時から目標にしていましたし、その数字に並べたことは凄く誇りに思います」。かつてのシーズン記録だった王の55本塁打を念頭に、松井も背負った背番号55。17年ドラフト1位で入団した当時、シニアディレクターだった小川淳司GMは「松井のイメージ。偉大な方を目指してほしいという思いがこもっている」と振り返る。

 無駄をそぎ落としたフォームからの豪快な打球は、ゴジラと重なる。だが、村上少年が憧れていたのは同じ巨人の高橋由伸だった。幼少期、故郷・熊本で、食い入るように見ていた巨人戦のテレビ中継。「天才」と呼ばれ同じ左打ちのスターに「かっこいい」と目を輝かせ、右足を高く上げる独特なフォームをまねていた。今年2月にはキャンプで対談。2人で写った記念写真は宝物に。その時聞いたのが、この日の一発のようにスライダー系を引っ張って本塁打するコツだった。

 チームは今季3度目の5連勝で、両リーグ70勝一番乗り。残り24試合で村上は60発ペース。2年連続リーグ制覇に3冠王、そして55発、60発の目標も加わる。「まだまだ、先の目標を達成できるように頑張りたい。数字的なことではなく、日々成長を掲げている。一本のホームランやヒットもいいが、それに満足せず成長したい、打ちたいと思っている」。村上なら難なく超えてくれるはずだ。(青森 正宣)

 《MLB記録も抜いた》大リーグでの最年少50号到達は、2007年のプリンス・フィルダー(ブルワーズ)で23歳4カ月。父セシルは阪神でプレーした。次いで55年ウィリー・メイズ(ジャイアンツ)の24歳4カ月、2019年ピート・アロンソ(メッツ)の24歳9カ月。現在51本の今季のジャッジ(ヤンキース)も含め、のべ47度のシーズン50本超えがあり、最多はベーブ・ルース(ヤンキース)、サミー・ソーサ(カブス)、マーク・マグワイア(カージナルスなど)の4度。

 ◇村上 宗隆(むらかみ・むねたか)2000年(平12)2月2日生まれ、熊本県出身の22歳。九州学院では1年夏に4番として甲子園に出場し、高校通算52本塁打。17年ドラフト1位でヤクルト入団。プロ入り後に捕手から内野手に転向した。19年は36本塁打で高卒2年目以内シーズンでは53年の西鉄・中西太に並ぶ最多本塁打で新人王。日本一となった昨年はセ最年少でMVPを獲得。100、150本塁打の最年少記録を樹立。1メートル88、97キロ。右投げ左打ち。

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