原沢 メダルならず…16年リオ決勝“リネールの悪夢”再び

[ 2021年7月31日 05:30 ]

東京五輪第8日 柔道男子100キロ超級 ( 2021年7月30日    日本武道館 )

男子100キロ超級3位決定戦、リネール(右)に敗れた原沢久喜(撮影・小海途 良幹)
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 涙はなかった。戦い抜いた。しかし力は及ばなかった。最重量級の復活を懸けて日本武道館の畳に立った原沢だが、準決勝でクルパレク(チェコ)に敗れ、3位決定戦では3連覇は逃したリネール(フランス)に完敗。「リオが終わり、この5年間はいろんな人に応援や支えてもらってきた。幸せな5年間だった」。一つの区切りを覚悟するかのような、感謝の言葉が口を突いた。

 5年前のリオ五輪決勝。まともに組み合わないリネールに序盤に指導差を付けられ、当時の試合時間だった5分間、ほぼ何もできずに敗戦。結果的に1年延期となった東京五輪まで、再び重い“宿命”を背負うことになった。翌17年は8月の世界選手権は初戦敗退。その後、駅の階段を上っただけで息が切れるなど体に異変が生じ、最終的に「オーバートレーニング症候群」と診断された。

 「柔道人生の集大成」と位置づけた東京五輪へ、不退転の決意を固めたのは約2カ月間の完全休養中。当時所属していた日本中央競馬会を辞して安定を捨て、24時間365日を柔道にささげた。19年には「2本しっかり組んで、技をしっかり掛ける柔道」を実践する天理大に足しげく出稽古し、柔道の原点に立ち返った。だがコロナ下でも順調に調整を積んできたところで、5月には体調を崩す誤算。メダルを取りこぼす結果に、「執念で戦ったが、力及ばなかった」と声が沈んだ。

 57年前の東京五輪、無差別級で神永昭夫がオランダのヘーシンクに敗れた10月23日は、「日本柔道が敗北した日」とまで形容された。「自分の目標に突き進むことだけを考えて戦った」と、原沢に余計な重圧はなかったが、08年北京五輪の石井慧を最後に、これで3大会遠ざかった男子最重量級の金メダル。3年後のパリへ、ゴールドラッシュに沸いた柔道ニッポンに、大きな宿題が残された。

 ◇原沢 久喜(はらさわ・ひさよし)1992年(平4)7月3日生まれ、山口県下関市出身の29歳。6歳の時に地元の大西道場で柔道を始め、日新中―早鞆高―日大を経て15年4月に日本中央競馬会に就職。18年4月に退職し、フリーで活動した後、19年4月から百五銀行所属。15、18年全日本選手権優勝。16年リオ五輪は銀メダル。世界選手権は18年銅、19年銀。得意技は内股、大外刈り。右組み。1メートル91、123キロ。

 ▽64年男子柔道無差別級決勝 1メートル96、120キロのアントン・ヘーシンク(オランダ)に対し、日本の神永昭夫は1メートル79、102キロ。しかも神永は直前に左膝じん帯断裂の重傷を負っていた。それでも両手を上げて仁王立ちするヘーシンクに食らいつき、神永は必死に攻めた。しかし、試合終了まであと2分を切った8分すぎ、体落としをかけにいったところを逆につぶされ、そのまま抑え込まれて万事休す。柔道の神髄とも言える無差別級でのまさかの敗戦に、日本中が衝撃を受けた。

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2021年7月31日のニュース