バド渡辺&東野組 福島の誇りで日本唯一のメダル 「10年の絆」で被災地に届けた323分

[ 2021年7月31日 05:30 ]

東京五輪第8日 バドミントン混合ダブルス3位決定戦 ( 2021年7月30日    武蔵野の森総合スポーツプラザ )

<混合ダブルス3位決定戦>銅メダルを獲得し歓喜の渡辺(左)と東野(撮影・会津 智海)
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 混合ダブルス3位決定戦では世界ランキング5位の渡辺勇大(24)、東野有紗(24)組(日本ユニシス)が同13位のトウ(とう)俊(しゅん)文(ぶん)、謝(しゃ)影(えい)雪(せつ)組(香港)に2―0のストレートで勝ち、銅メダルを獲得した。同種目で日本勢初の表彰台は、波乱続きの今大会で全種目を通じ日本勢初で唯一のメダル。東日本大震災で被災した2人が、震災10年の節目に希望の光をともした。

 これは夢か、現実か。第2ゲーム、渡辺のウイニングショットが相手コートに落ちる。渡辺はコートにあおむけになり、両拳を何度も揺らす。喜びを爆発させた東野からは涙があふれた。結成10年目。ついに大きな壁を破った。

 「勇大くんが自分のパートナーでずっといつづけてくれて良かった」。東野が声を震わせると、渡辺も照れくさそうに言った。「先輩だから一緒にやってこられた」。表彰式では仲良くメダルを首に掛け合った。

 あの日から、全てが始まった。11年3月11日。富岡一中の卒業式を終え、体育館で準備運動中だった。大きな揺れとともに、天井の照明器具が次々と落ちた。「死を覚悟した」(渡辺)。必死に校庭に逃げ、校舎から近くの福島第1原発の事故が起こった。渡辺は寮の食堂でざこ寝。翌日に避難先からの電話で家族に無事を伝えた。東野は母と不安なまま車中泊し、福島空港へ向かった。

 震災から2カ月後、原発事故の影響で活動拠点が同県猪苗代に移り、2人は戻ってきた。ただ、バドミントンをしたい一心で。渡辺が中2、東野が中3の12年にペアを初めて結成。腕を磨き続け、14年世界ジュニア選手権銅メダルを獲得した。「福島での6年間は競技人生において大事な一ページ」と渡辺。死と隣り合わせになったあの日から積み重ねた絆が礎となった。

 1学年上の東野が15年に日本ユニシス入社。ペアを組めない時期もあったが、思いは一緒だった。「また、一緒に組んで」。東野が送ったLINEに進路に悩む渡辺は心を決め、返信した。「自分が一番、輝けるところにいく」。16年に東野を追って入社。1人ではここまでたどり着けなかった。2人で見たい景色があった。

 復興五輪。無観客のコートで戦った6試合323分はきっと、被災地の人々にも届いた。渡辺は言う。「メダルの色は違えど、2人で福島で培われたものが成果として結びついた。素直に誇りに思う」。被災者の2人が表彰台に立った一歩目。それは復興が進む確かな足跡だった。 (大和 弘明)

 ☆生まれと経歴 渡辺は1997年(平9)6月13日生まれ、東京都杉並区出身の24歳。1メートル67、56キロ。東野は1996年(平8)8月1日生まれ、北海道岩見沢市出身の24歳。1メートル60、54キロ。東野が1学年上。2人とも福島・富岡一中、富岡高(現ふたば未来学園中、高)を経て日本ユニシス入社。愛称は「ワタガシ」。
 ☆競技歴 渡辺は小学2年に練習参加した学童野球のノック初球でトンネル。嫌気が差した一方で楽しさを覚えたバドミントンを始める。東野は両親がやっていた陸上をやるはずだったが、小学1年から地元クラブでのめり込む。

 ☆実績 渡辺は15年全国高校総体で単複2冠。東野は14年全国高校選抜で女複優勝。混合では18年全英オープンで同種目日本勢初の優勝。19年世界選手権でも同種目初の表彰台の3位。全日本総合選手権は4連覇中。世界ランキング最高3位。

 ☆プレースタイル コンビネーションを生かし、躍動感あるプレーが2人の武器。サウスポーの渡辺は中高時代のインドネシア人コーチの影響で、意表を突く緩急自在のショットが魅力。普段は天然な東野だが、元陸上短距離選手の母・洋美さん譲りの運動能力で要所のジャンピングスマッシュが光る。

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2021年7月31日のニュース