羽生結弦、ライバルと切磋琢磨し成し遂げた五輪連覇「時代に恵まれた」涙は「ホントに大変だったんで」

[ 2018年2月17日 16:46 ]

平昌五輪 フィギュアスケート男子フリー ( 2018年2月17日 )

<平昌冬季五輪・フィギュアスケート男子FS>表彰台で記念撮影する(左から)宇野昌磨、羽生結弦、ハビエル・フェルナンデス(撮影・椎名 航)
Photo By スポニチ

 平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ソチ五輪・金メダルの羽生結弦(23=ANA)が206・17点をマーク。前日のショートプログラム(SP)111・68点と合わせ、計317・85点で金メダルを獲得。五輪男子66年ぶりの2連覇を達成した。これが日本の今大会金メダル第1号。宇野昌磨(20=トヨタ自動車)も計306・90点で銀メダルを獲得し、日本フィギュア史上初のワンツー表彰台となった。

 【羽生と一問一答】

 ――涙の意味は

 「ホントに大変だったんで。ここまでくるのに大変だったし、4年間ということを考えるとやっぱり、あれから応援してくださった方も、ジュニアの頃からノービスの頃から応援してくださった方もたくさんいて、なによりも家族や、チームやこれまで人間として育ててくれたコーチ、担任の先生とか、いろんなところで支えてくださった方々含めて、いろんな思いがこみ上げてきました」

 ――きょうの構成は

 「とにかくもう、今日の起きた時点で考えようと思っていました。幸いにも僕はいろんなオプションを持っていて、選択肢がたくさんある中で、こうして試合に臨めたということは、やっぱりある意味でケガをしてしまったから、こうやっていろいろ考えられるということもあったと思いますし、ある意味でこうやってスケートができなかった期間があったからこそ、作戦ということを学び、こうやって勝つためにここに来られたということもあると思います」

 ――演技について

 「前半は丁寧にいったっていうか。やっぱり6分間練習でサルコーが不安だったので。とにかくサルコーさえ降りられれば、前半の感覚で後半も跳べるという風に思っていましたし。何よりも、昨日も言ったけど、サルコーもトーループもアクセルも、トリプルジャンプ全て、何年間もやってきているんで、覚えていてくれました」

 ――最後の3回転ルッツをこらえた

 「右足でルッツを跳ぶのが一番大変なんで。右足頑張ってくれたな、という思いが強いです」

 ――演技が終わった瞬間は

 「勝ったと思いました。でも、何よりもソチ五輪の時は“勝てるかな”っていう不安でしかなかったので、今回は何より自分に勝てたって思いました」

 ――フリーの構成を決めたのはいつ

 「朝です。自分で決めました。練習の前です。理由はいっぱいあります」

 ――4回転ループを跳びたかったのでは

 「跳びたいとか跳びたくないとかの前に、何より勝ちたいだったので。勝たないと意味がないという風に思っていた。この試合は特に。何よりもこれからの人生でずっとつきまとう結果なので。本当に大事に大事に、結果を取りにいきました」

 ――連覇が懸かる重圧にさいなまれることはなかったか

 「特に。とにかく連覇とかそういうのじゃなくて、今回の試合で勝ちたいと思っていた」

 ――ソチの金と比較して

 「単純に比較はできないですね。今、思うのはずっと小さな頃から抱いていた夢、または自分の人生設計みたいなものの中である意味、やっと中間点くらいまで来た。だから、そういった意味ではスケートを始めて、“五輪で金メダルを取る!”ってエフゲニー・プルシェンコさんを見ながら思っていた頃の自分に“いろいろあるけど、練習頑張れよ”って言いたいです」

 ――プルシェンコを超えた

 「超えてないです」

 ――ソチのフリーとは違ったか

 「あの時は無我夢中で頑張っていたし、あの時はあの時でいい演技ができたと思っています。あの演技に関して、何も恥じるものはないし悔いもない。でも、やっぱりミスがあったのは確かなので、ミスを払拭できる演技ができたのは良かったです」

 ――トロントでフリーの通し練習はやっていたのか

 「何度かやっていました。ただ、足の状況も気になっていましたし、足の状況については何も話すつもりはないですけれども、本当に大変だったんで、思っていたよりも。最初に診断してもらった靱帯損傷だけじゃなくて、本当にいろんなところを痛めてしまっていて、氷上に乗れない日々が長かったので、ある意味、体力とかよりもスケートに乗ることの不安の方が大きかった」

 ――フィギュアのレベルを引き上げた

 「別に僕が引き上げたとは思っていないです。一番最初に4回転ルッツの戸を開いたのはボーヤン(金博洋)だし、それから何とか僕も限界を超えようと思って彼を追いかけていただけだし、そしたらみんな強くなっていって、そしたらネーサン・チェン選手が出てきて、そして宇野選手という素晴らしい日本の選手が出てきて。本当に僕は時代に恵まれたスケーターだなと思っています」

続きを表示

2018年2月17日のニュース