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金子達仁氏 対戦相手への優越感は捨てきれているか

[ 2022年11月27日 05:10 ]

FIFAワールドカップカタール大会

シュートを止めるセネガルのGKメンディ(AP)
Photo By AP

 【金子達仁 W杯戦記】長い間、わたしにとってW杯における史上最高のセーブと言えば、70年大会、至近距離から放たれたペレのヘッドを右手一本で弾(はじ)き出したゴードン・バンクスのセーブだった。以来、どれほど凄いセーブを目撃しても、いやいやバンクスに比べれば、と思ってしまう自分がいた。

 それに匹敵するセーブが、ついに現れた。カタール対セネガル戦の後半22分、セネガルGK、E・メンディが見せたセーブである。左からのクロス。ゴールエリアのライン上から放たれた一撃。E・メンディは、超人的な反応でこれを弾き出した。3年前、81歳で亡くなったバンクスが存命であれば、ぜひコメントを取りにいきたかった。そう思わせるほどのスーパー、ウルトラ、ミラクルセーブだった。

 ペレのシュートをセーブしたバンクスは、しかし、イングランドを救うことはできなかった。勝ったのはブラジルだった。だが、E・メンディはセネガルを救った。彼のセーブがなければ、試合の結果はまた違ったものになっていた可能性が高い。

 そんなセーブを国の命運がかかった場面で披露されてしまうのだから、カタールは運にも見放されていた。

 ただ、見放されても仕方がない、と思えてしまう一面がこの国にはあった。

 試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間、スタジアムは空虚とさえ言える状態になっていた。多くのファンは、2点差をひっくり返す奇跡を期待するより、少しでも早く自宅に辿(たど)り着く方を選んだのである。

 残念ながら、彼らはW杯開催に値する国ではなかった。

 1次リーグで敗退する開催国は、カタールが初めてではない。だが、12年前の開催国は、わずかではあったが最後まで突破の可能性を残し、最終戦ではフランス相手に大番狂わせを起こしてみせた。刀が折れ、矢が尽きるまで彼らは戦った。観客の熱狂的な声援と歴史に対する責任感が、選手たちをそうさせた。

 南アフリカは、W杯で戦うこと、勝つことがどれほど困難で、かつ貴いものであるかを知っていた。過去に幾度となく流してきた血の涙が、絶望的な状況にあっても抗(あらが)おうとする力の源になっていた。

 だが、カタールにはW杯に出た経験がなかった。あと一歩で涙を流した経験もなかった。ドーハの悲劇を体験した日本は、4年後、本大会出場への執念を貫徹させた一方で、本大会では淡泊な敗北を喫した。経験の大切さと未経験の恐ろしさ。いまカタール人たちがかみしめているであろう苦さは、24年前、日本人が初めて知った味でもある。

 もっとも、歴史を繰り返してしまったカタール人を、日本人は笑えない。過去の実績に囚(とら)われ、対戦相手に対する優越感を捨てきれなかったアルゼンチンやドイツのことも笑えない。わたしたちはすでに、同じ過ちを犯そうとしている。

 大会前のテストマッチで、日本はチュニジアに負けた。エクアドルに苦戦し、カナダにも負けた。本大会でのチュニジアはデンマークと引き分け、カナダはベルギーを、エクアドルはオランダを圧倒した。そんな国々にてこずったことを、大会前のわたしたちは問題視していたのである。なんであんな相手と、とマッチメーク自体を疑問視する声すらあった。

 コスタリカは0―7でスペインに負けた。だから大丈夫という考え方を、わたしは全力で否定する。しなければ、ついそう思ってしまう自分がいるからでもある。(スポーツライター)

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