ラッシャー板前「旅サラダ」卒業 25年間の中継担当「尿酸値が上がりました」 感謝と笑顔で締め

[ 2022年3月26日 09:29 ]

ラッシャー板前
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 タレントのラッシャー板前(58)が26日、中継リポーターを務めてきたテレビ朝日系情報番組「朝だ!生です旅サラダ」(土曜前8・00)をこの日の放送をもって卒業した。

 1997年4月から25年間、中継コーナーで全国各地からリポートをしてきたラッシャー。この日の番組は「ラッシャー板前卒業SP」として放送された。

 番組オープニングでは、番組MCの神田正輝が「今日ですね、桜の開花とともにスペシャル。今日1日、ラッシャーさんにこの場も任せようかなと思うぐらい。本当に1日、ラッシャーさんに本当に楽しんで、思い出も…。1997年から25年。思い入れのある中継は1000回以上、金字塔だよね。今日どんなことをやるのか、楽しみ」と笑顔を見せた。中継先のラッシャーにつなぐと、「神田さん、全部任せるのは無理です。やめてください、そんな責任重大な…」と大慌て。それでも「『旅サラダ』生中継、最終回でございます、25年間、本当にお世話になりました。25年の感謝を込めて」と、大阪市・鶴橋から新鮮な魚介類や高級お肉など、最後にふさわしい豪華プレゼントを探すため、全力でリポートした。

 「卒業記念の旅」としてともに長らく同番組でレギュラーを務めるタレントの勝俣州和と石川県・能登に二人旅。旅先の石川県はこれまでの生中継で一番行っている場所だが、「観光をしたことがない」とラッシャーが希望。生中継の思い出の地を訪れ、懐かしい話や、お酒の飲みながらの深い話も。「生中継を25年やり、どれだけの人と出会い、どれだけの場所でどれだけのおいしいものを食べているか。これは本当に人生の素晴らしい財産ですよね。この『旅サラダ』の財産をどう伝えていくか考えようと、形を変えて…それは考えています」と万感の思いを明かした。

 お世話になっているという宿ではラッシャー自ら厨房に立ち、かつて板前時代に覚えたという、三つ葉入りだし巻き卵を振る舞う場面も。生中継の集大成としてれんこん堀りにも挑戦。泥まみれになり、最後には「生中継卒業して良かった…今はそんな気持ちです」と充実の表情も見られた。

 中継を終え、9時前にはスタジオに到着。二人旅の後半のVTRもスタジオで見守ったラッシャーは「地元の方とも今でもお付き合いがあって、今でも送ってもらったり…」と“生中継”の縁に感謝。神田は「ラッシャーさんはほめるわけじゃないけど、気遣いがいいよね。皆さんに好かれるよね。最初の頃は赤い顔して出ていたこともあったけど」とイジリつつ、ねぎらった。

 神田が「延べ1000回を超えてます。生中継の神様。ほんとそんな人いない」と絶賛。「本当にお疲れさまでした」と大きな拍手とともに花束を贈ると、ラッシャーは「1997年4月から25年間、1000回以上、『旅サラダ』をやらせていただき、いろいろな土地に行き、いろんな方においしいものをたくさんいただきました。そのせいでしょうか、尿酸値が上がりました」と笑いを誘いつつ「そういうものすべて、思い出として、人生の財産として、全国の皆さん、本当にありがとうございました」と頭を下げた。

 神田から「これで、リポーターはしないですけど、切れるわけじゃないですから。また一緒に旅にいきましょう!」と声をかけられ、笑顔を見せて、エンディングを迎えた。

 ラッシャーは今月5日の放送で番組卒業を発表。「1997年4月から25年間旅サラダの中継を担当してきました。全国各地から1000回以上中継をさせていただきました。中継に協力いただいた皆さま、そして系列局の皆さま、本当にありがとうございました」と感謝の言葉を述べていた。

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2022年3月26日のニュース