海外でも愛された国際派「サニー千葉」、タランティーノ監督らもファン公言

[ 2021年8月20日 05:30 ]

千葉真一さん急死

07年、千葉真一さん(右)との写真撮影に応じるタランティーノ監督
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 今でこそ国境を超えて活躍する日本人俳優は多いが、千葉さんはその草分け的な存在。「サニー千葉」として海外からも愛されてきた。

 73年の主演映画「ボディガード牙」が公開されると、日本だけでなく欧米でもヒット。千葉さんのカラテ映画が欧米でブームになる先駆けの作品となった。74年の「激突!殺人拳」は、米中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て代表作に。米国で最も権威のある総合情報週刊誌「Variety」にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げる快挙となった。

 そのアクションには海外の大スターたちもほれ込んだ。中でもキアヌ・リーブスは初めて千葉さんと対面した際「ハジメマシテ、マエストロ」とあいさつし大興奮。サミュエル・L・ジャクソン(72)は直立不動でサインをねだったほどだった。

 国内で時代劇などに出演しながらも、米国への思いはつのっていった。東映の憧れの大先輩だった高倉健さんから「ハリウッドの世界まで入りこめて、初めて一人前だ」と言われ、その言葉に刺激を受けた。俳優という立場ながら撮影現場でいろいろと意見を言う“米国流”の仕事が国内で煙たがられるようになったこともあり、海外進出を決意した。

 91年にジャパン・アクション・クラブを日光江戸村に売却し、92年に米映画「エイセス/大空の誓い」に出演。拠点を米ロサンゼルスに移し、日本未公開の作品にも多く出演した。

 03年には親交のあるタランティーノ監督の「キル・ビル」に出演。ユマ・サーマン(51)、ルーシー・リュー(52)らハリウッドスターたちに剣術指導も行った。

 これらの功績が認められ、05年のハワイ国際映画祭では「マーベリック・アワード」を受賞。その後も、日本にとどまらず世界中の映画ファンを沸かせ続けた。

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