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笑福亭仁鶴さん死去、84歳 上方落語界の重鎮 テレビ・ラジオでも活躍“視聴率を5%上げる男”

[ 2021年8月20日 17:00 ]

落語家の笑福亭仁鶴さん(2016年8月撮影、なんばグランド花月にて)
Photo By 提供写真

 上方落語界の重鎮で、ラジオの深夜放送やテレビのバラエティー番組などで全国区の人気を誇った笑福亭仁鶴(しょうふくてい・にかく、本名・岡本武士=おかもと・たけし)さんが17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で死去した。84歳。大阪市出身。「どんなんかな~」などのギャグも多く残し、全盛期には「視聴率を5%上げる男」と称された。吉本興業特別顧問で、「吉本中興の祖」と言われる。通夜・葬儀は近親者、関係者によって執り行われた。

 1985年4月にスタートしたNHK「バラエティー生活笑百科」の司会(相談室長)を、初代の西川きよし(75)からバトンを受けて86年3月29日放送分から登場したのが仁鶴さん。「四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせ~」のフレーズもおなじみになった。

 それから毎回欠かさず出演を重ねたが、高齢による体力の衰えもあって2017年5月に初めて収録を欠席。その翌月には吉本新喜劇の元座員で、「たか子姫」の愛称で人気だった妻の隆子さん(享年72)が死去。先立たれた心労も重なり、7月にいったん復帰したものの、8月から療養のため番組を休み、桂南光(69)が代理を務めていた。関係者によれば、「奥さんを亡くされてから、精神的にかなり落ち込んでおり、体調不良もあって自宅で療養を続けていた」という。

 実家は鉄工所。54年に工業高校を中退し、行商などさまざまな職業を経験。そのうち、仕事先の古道具屋さんに置いてあった初代桂春団治のSPレコードを聴いて感激し、落語家になる決意をした。

 朝日放送ラジオの「素人演芸会」など聴取者参加型の番組に多く出演し、番組の審査員だった六代目笑福亭松鶴に初代春団治の芸風を感じて弟子入りを志願。62年4月に入門を許されて仁鶴を名乗った。

 三代目林家染丸に誘われ、入門翌年の63年から吉本興業所属となった。師匠の松鶴は松竹芸能の所属だったが、「芸風が吉本向き」と松鶴も認め、許したという。同年5月に京都花月で吉本での初高座を踏み、「くっしゃみ講釈」を披露した。

 60年代の落語ブームに乗って、月亭可朝や桂三枝(現・六代目桂文枝=77)とともに吉本の顔として花月劇場チェーンへの出演を重ねたほか、テレビ、ラジオ、映画と幅広く活躍。とりわけラジオ大阪「オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に!」や朝日放送ラジオ「ABCヤングリクエスト」内の「仁鶴・頭のマッサージ」などの深夜放送で若者層の絶大な支持を集めた。

 その人気を全国区に押し上げたのは69年に始まった「ヤングおー!おー!」(毎日放送)だった。「視聴率を5%上げる男」と呼ばれたのはこの頃のことで、テレビ関係者は出演してもらうために奔走した。72年にはNHK「紅白歌合戦」に応援ゲストとして出演。72年からオンエアされた「ボンカレー」(大塚食品)のCMで「子連れ狼」の拝一刀に扮し、「3分間待つのだぞ」のフレーズも受けに受けた。

 タレント活動の一方で、独演会や一門の落語会には定期的に出演。吉本の本拠地である「なんばグランド花月」にも月に一度のペースで出演していた。全盛期には定員900人のなんば花月に1日8500人が押し寄せた。

 最近は公の場に姿を見せることは少なかったが、18年9月に大阪市内で行われた師匠の六代目松鶴の三十三回忌法要に参列し、取材にも応じた。天満天神繁昌亭で行われた「六代目笑福亭松鶴生誕百年祭」にも出演、京都・西本願寺で行われた「京都国際映画祭2018」のオープニングセレモニーにも姿を見せた。

 「谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座」(71年)や「座頭市御用旅」(72年)、森繁久彌が主演した「流転の海」(90年)など、俳優として映画にも出演。「じゃりんこチエ」(81年)や「ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」(15年)では声優も務めた。第3回上方お笑い大賞の大賞(74年)や第53回日本放送協会放送文化賞(02年)など受賞歴も多数。

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