千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに…

[ 2021年8月20日 05:30 ]

千葉真一さん
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 映画「柳生一族の陰謀」、ドラマ「影の軍団」など日本を代表するアクション俳優の千葉真一(ちば・しんいち、本名前田禎穂=まえだ・さだほ)さんが19日午後5時26分、新型コロナウイルスによる肺炎のため千葉県君津市の病院で死去した。82歳。福岡県出身。通夜・葬儀は行わず、後日お別れの会を検討する。日本映画のアクションや時代劇をけん引し、米ハリウッドにも果敢に挑戦。80歳を過ぎても映画作りへの意欲は衰え知らずだったが、コロナという病魔に打ち勝つことはできなかった。

 関係者によれば、千葉さんは7月末にコロナに感染。そのまま自宅療養を続け「せきなどの症状はあったが、元気だった」という。だが、症状が悪化し今月8日に救急車で君津市の病院に搬送され入院。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復傾向にもあったが、その後容体が急変。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った。コロナのワクチン接種はしていなかった。

 体操で高校時代に全国優勝し、五輪出場への夢を追って日体大に進学したが、2年の時に練習中にケガをして断念。そのまま大学も退学した。街で見かけた「東映第6期ニューフェイス募集」のポスターに興味を持ち、2万6000人の中から見事トップ合格。60年、NET(現テレビ朝日)のドラマ「新 七色仮面」で主演デビューした。

 極真空手四段など強じんな肉体を武器にスタントマンを使わない激しいアクションが評判を呼び「殺人拳」シリーズ、「地獄拳」シリーズなど人気作を生み出した。特に61年に主演した「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」が初監督だった深作欣二さんとは盟友として数多くの作品でコンビを組み、73年「仁義なき戦い 広島死闘篇」で演じたやくざ・大友勝利は今なお語り継がれるキャラクターとなっている。若手の頃から高倉健さんを敬愛し、常に背中を追っていた。

 世界に通用するアクション俳優の育成を目指し、70年にジャパン・アクション・クラブを設立。肉体づくりの基礎から本格的な時代劇の殺陣まで徹底的に指導し、真田広之(60)や志穂美悦子(65)らを輩出した。

 自身も海外進出に積極的で、20代から日本と香港、台湾などとの合作に出演。92年「エイセス/大空の誓い」で初めて米映画に出演したのを機にロサンゼルスに拠点を移し、グリーンカードも取得。日本の主演映画が米国でも公開されていたため、「サニー千葉」の愛称で広く知られ、影響を受けたクエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」シリーズにも出演している。

 私生活では「キイハンター」で共演した野際陽子さんと73年に結婚。75年に長女で女優の真瀬樹里(46)をもうけた。94年に離婚したが、96年に28歳年下の一般女性と結婚。長男の新田真剣佑(24)、次男の眞栄田郷敦(21)は共に俳優の道に進んだ。その女性とは15年に離婚したが、子供たちともども良好な関係を続けていた。昨年12月には文化庁長官表彰式に出席。「賞に恥じない生き方をしていきたい」とさらなる意欲を見せていたが、それが最後の公の場となってしまった。

 《志村さん、岡江さんも》新型コロナウイルスでは著名人も亡くなっている。日本で感染拡大が顕著になり始めた昨年3月に、志村けんさんが死去。4月には女優の岡江久美子さんが亡くなった。多くが60代以上だが、20代でも大相撲・三段目の勝武士さんが死去。糖尿病を患っていたとされる。

 ◇千葉 真一(ちば・しんいち)本名前田禎穂(まえだ・さだほ)。1939年(昭14)1月22日生まれ、福岡県出身。59年、東映第6期ニューフェイスに合格し、デビュー。TBS「キイハンター」などの作品でアクションスターの地位を確立。92年、映画「エイセス/大空の誓い」でハリウッド本格進出。94年に米国の永住権を取得。07年に引退を一時表明するが、その後芸名をJJサニー千葉に改名し活動を継続。11年に日本での芸名を千葉真一に戻す。13年に日体大から特別卒業認定証を授与される。

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