とにかく明るい安村 夏の甲子園中止に「確実に糧になる」「とにかく明るく生きてほしい」

[ 2020年5月21日 05:30 ]

リモート取材に応じ、甲子園の砂が入っていた瓶を手に全国の球児に励ましの言葉を贈った、とにかく明るい安村

 「第102回全国高校野球選手権大会」の中止が正式に決まった20日、高校時代に野球部だった芸能人から、甲子園への道を断たれた球児への励ましの声が相次いだ。旭川実(北北海道)で1999年夏に甲子園に出場したお笑い芸人、とにかく明るい安村(38)はスポニチ本紙などのリモート取材に「本当につらいと思うが、苦しい練習は確実に糧になる。とにかく明るく生きてほしい」と話した。

 背番号13の控え野手として甲子園に出場した高校3年の安村。聖地の土を踏んだのは、伝令としてマウンドに行った3度きりだったが、開会式で名門校のユニホームを生で見た興奮は今も思い出す。

 「球場に入ったとき感じたパワーは凄かった。いまだに甲子園に行ったのを凄いと言われる。一生の自慢」と球児にとっての特別な場所だと強調する。

 「野球部なら誰もが小、中学生のときから甲子園のことを考えている。それがなくなるのは信じられない」と絶句。「予選で負けて行けないなら納得いくが、勝ち負けも何もなく“明日から終わりです”というのはかわいそう」と思いやった。

 甲子園への道は長く険しい。自身も、毎日グラウンドを50周したり、ボール回しをノーミスで100回するなどの苦しい練習を積んだ。「甲子園に行くために、それを我慢していた。報われないのは気の毒」と話した。

 一方で「その経験があとになって良かったなと思うときが必ずある。切り替えて、とは言えないが、球児には変な道に行かず、とにかく明るく生きてほしい」と心から願った。

 卒業後、芸人に。コンビ解散、低迷を経て15年にパンツ一丁でのギャグ「はいてますよ!」でブレーク。喜びもつかの間、不倫報道のあおりで仕事が減った。「ふとした時、やはりあの時の練習のしんどさを思う。体も心も高校時代が一番しんどかったから、しんどい中にも楽しさを見つける生き方の根本になっている」。現在は体を張った芸で、日本テレビ「有吉の壁」などで活躍を見せる。

 甲子園の土は人に渡したまま行方不明で、手元に残ったのは砂粒のついた空の瓶だけ。それでも野球に打ち込んだという財産は確かに残っている。「大変なときにみんなと一緒に乗り越えたとか、そういうことは消えない。僕が同じ立場になったらぶつける場所がなく戸惑うと思うが、人生楽しいこともたくさんある。どうか真っすぐに生きてほしい」と呼びかけた。

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