【内田雅也の追球】岡田監督の言葉は選手たちの心にしみこんだ 優勝監督の言葉には重みがあった

[ 2022年10月25日 08:00 ]

秋晴れの甲子園、外野、芝の上で、選手、球団役職員、スタッフに語りかける岡田監督(中央) 
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 甲子園球場の外野、芝の上で岡田彰布は語りかけていた。秋季練習初日。阪神監督に復帰しての第一声に選手、球団役職員、スタッフは姿勢を正し、耳を傾けていた。

 伝統のタテジマのユニホームを着るのは監督を辞任した2008年以来14年ぶり。選手たちは岡田を知らない。辛口な解説や評論から感じる厳しさからか。秋晴れの下、空気が引き締まった。

 「1年目から優勝を狙う」と言った後「優勝」という言葉を封印した。簡単なことではない。「アレ」と言い換えた。

 岡田の言葉は選手たちの心にしみこんだことだろう。自分の話を聞く選手たちの姿勢や目の色で岡田も感じていたのではないか。優勝監督の言葉には重みがあった。

 西本幸雄に聞いた話を思い出す。阪急(現オリックス)監督を退き、近鉄監督に就いた1973(昭和48)年11月、自分の話を聞く選手たちの姿勢が違っていたという。「真綿が水を吸うように」だったという。「スーッと染みこむようにオレの話を聞いていた」。阪急監督として5度の優勝に導いた実績や威厳が伝わっていた。

 梨田昌孝や羽田耕一が直立不動であいさつにきた。「名前なんか分かっとる。おまえらがいるから、近鉄に来たんや」と言うと、2人は相当に感激したという逸話がある。今の岡田と選手たちとの関係に通じるものがあるのではないか。

 ただ、実際により耳を傾けようとしているのは岡田の方である。「選手の性格や考えなど、わからない部分が多い。いろんな話をしていきたい」。今後、選手たちの話を聞く場を設けるという。コーチングで言う「傾聴」である。相手を受けいれる姿勢が見える。

 来月で65歳。阪神監督就任時の年齢としては野村克也、吉田義男の63歳を上回り最高齢である。三塁ベンチ前に腰かけた姿に年齢と柔らかになった心が映っている。年の功である。

 <私はいま自分が何歳であるかを知らない>と作家・山本周五郎が書いていた。<どんなに賑(にぎ)やかに遊び、陽気に飲んでいるときでも、頭の中では休みなしに仕事のことが犇(ひし)めいている>。岡田もいつも阪神のことを考え、年齢を重ねてきていた。

 練習終了時、青空と秋の日差しの下、細かな雨が落ちてきた。縁起がいいと言われる天気雨が祝っていた。=敬称略=(編集委員)

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2022年10月25日のニュース