海星・宮原「絶対完封してやる気持ちだった」 46年前に完封した先輩サッシーも祝福

[ 2022年8月9日 04:00 ]

第104回全国高校野球選手権大会第3日・1回戦   海星11ー0日本文理 ( 2022年8月8日    甲子園 )

<日本文理・海星>完封勝利を挙げた海星・宮原。帽子のつばには「常笑」の文字(撮影・藤山 由理)
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 1回戦4試合が行われ、海星(長崎)は日本文理(新潟)に11―0で圧勝した。宮原明弥(はるや)投手(3年)が8安打されながら9三振を奪い、今大会の完封一番乗り。チームとしての完封は1976年夏に「サッシー旋風」を巻き起こした酒井圭一以来、46年ぶりだった。ほか、天理(奈良)、敦賀気比(福井)、市船橋(千葉)が初戦突破した。

 117球目。この日、9個目の三振を奪うと、海星の宮原は力強くほえた。チームとしては76年夏に「サッシー」の愛称で4強入りに導いた酒井圭一(元ヤクルト)以来、春夏を通じて46年ぶりの甲子園での完封。今大会の完封一番乗りを果たし、宮原は「昨日から絶対に完封してやるという気持ちだった。しっかり達成できてよかった」と喜んだ。 

 プロ注目の最速150キロ右腕、日本文理の田中晴也(3年)との「はるや」対決。「絶対に負けないぞという気持ちで投げた」。初回2死、田中からこの日最速144キロの外角直球で見逃し三振を奪った。8安打を浴びながら要所を抑え、9つのゼロを並べた。

 試合中に右手中指に血まめができたが、加藤慶二監督に続投を志願した。「初戦は難しい戦いになると思っていたので、自分が降りると流れも変わると思った」。長崎大会を通じても、この夏初の完封だった。

 離島の対馬出身。1歳の時に心臓病で大手術を受けた。完治したのは中学時代と苦しい思いをしてきた。家族の思いもあった。兄の真弥(まなや)さんも同校OBで19年夏の甲子園に出場。背番号15でベンチ入りも、出場機会はなかった。試合前に兄から「思いっきり投げてこいよ」のメッセージを送られ「いいピッチングができてよかった」と笑みを浮かべた。

 「サッシー旋風」と言われた酒井氏も同じ長崎の離島・壱岐の出身だった。当時のベスト4が同校の甲子園最高成績。宮原は天理との次戦へ向けて「チームを勝ちに導けるようにやっていきたい」と意気込んだ。偉大な先輩を超える夏にする。(杉浦 友樹)

 ◇宮原 明弥(みやはら・はるや)2005年(平17)3月3日生まれ、長崎県出身の17歳。小1から豊玉小ソフトボールで競技を始める。中学時代は小島中軟式野球部に所属。海星では1年秋からベンチ入り。50メートル走6秒4。遠投110メートル。1メートル82、90キロ。右投げ右打ち。

 《酒井氏も後輩の活躍に笑顔「勝ち進んで」》76年夏の甲子園で4強入りした海星のエースで、元ヤクルトの酒井圭一氏(64)も後輩たちの快勝を喜んだ。宮原が自身以来の甲子園での完封。「テレビで見てました。いい体つきをしている。実は対馬の子で、いい投手がいると前から聞いていたんですよ。僕も壱岐出身だから。でも、もう40年以上前のこと。僕以来の完封というのは知らなかった」。同じ離島出身の右腕の快投を称えた。怪物「サッシー」と騒がれた76年夏は、同年選抜優勝の崇徳(広島)を3回戦で完封するなど県勢2度目のベスト4。「当時は打線が打てなくて、1点取られたら負けると思って投げていた。宮原君はストライクゾーンに投げる力があるし、まだスピードも出る。ずっと勝ち進んでほしいね」。46年前超えの進撃を願っていた。

 ▽海星の「サッシー」 76年8月17日、3回戦の崇徳(広島)戦でエースの酒井圭一が、2安打8奪三振で完封。崇徳は広島で活躍した山崎隆造らを擁し、同年の選抜で優勝していた。前日16日の2回戦、福井戦でも2安打完封しており2戦連続完封だった。酒井は準決勝でPL学園に2―3で敗れるまで全5試合で完投した。当時はスコットランドにある「ネス湖」の未確認動物「ネッシー」が話題となり、それになぞらえてつけられたのが「サッシー」の愛称。同年のドラフト1位でヤクルト入りし、通算215試合で6勝12敗。現役引退後はスカウトを務めた。

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