【昭和の甲子園 真夏の伝説(4)】宿命の対決 怪童・尾崎“3度目の正直” 浪商悲願の日本一

[ 2022年8月9日 07:30 ]

怪童と呼ばれた浪商・尾崎のピッチング
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 甲子園の熱い夏が始まった――。第104回全国高校野球選手権が6日に開幕。幾多の名勝負が繰り広げられた聖地で、今年はどんなドラマが生まれるのだろうか。今回は「昭和の甲子園 真夏の伝説」と題して、今も語り継がれる伝説の試合を10回にわたってお届けする。

~夏春連覇の法政二・柴田破って悲願の日本一~

 3度目の正直で日本一。1961年(昭和36年)甲子園の主役となったのは16歳の“怪童”だった。浪商(現大体大浪商)の尾崎行雄(元東映)は準決勝で法政二・柴田勲(元巨人)と対決した。60年夏、61年春に続く3度目の顔合わせ。過去2度の対戦では敗退。法政二は夏春を制し、61年夏に史上初の3季連続優勝を目指していた。宿命のライバル対決は終盤までもつれ込む熱戦。打撃でも柴田を沈めた尾崎が競り勝ち、頂点まで一気に駆け上がった。

~3度目の対決 それは柴田の好走塁から始まった~

 61年夏。浪商、法政二が大阪と神奈川それぞれで甲子園出場を決めた瞬間からライバル対決は注目を集めていた。8月10日、開会式前日のリハーサルではカメラマンから2ショットを求められ、即席の「対談」まで行われていた。

 柴田「尾崎君すごい調子だそうですね。予選の記録を見てびっくりしましたよ」

 尾崎「柴田さんには2度も痛い目にあっていますから、絶対に負けられないという気はすごく強いですよ」

 柴田「尾崎君怖いことをいうなよ。でも2度あることは3度あるというだろう」

 今では考えられないメディアへのサービスだが“上から目線”の3年生・柴田に噛みつきそうな2年生尾崎の闘志が目を引いた。8月19日正午、準決勝第1試合「浪商・尾崎」vs「法政二・柴田」全国のファンが望んだ「3度目の対決」が現実のものとなった。

 初回から尾崎が試合巧者・法政二に揺さぶられる。2死一塁。一塁走者・柴田がスタートを切る。4番・是久との間でヒットエンドラン。打球は二塁ベースに入った遊撃手の逆をついて左前へ。浪商の左翼手は1年生の高田繁。後に柴田との1、2番コンビで巨人V9戦士となる男だ。高田は三塁は間に合わないと判断し、打者走者の二塁進塁を防ぐため二塁へ送球した。ところが柴田は三塁を回って一気に本塁突入。二塁手からの返球を受けた捕手のタッチをかいくぐってホームイン。まさかの先制を許した尾崎の顔が歪んだ。4回には守備の乱れで追加点を許した。8回を終わって0―2。浪商は柴田の前に二塁すら踏むことができない。開会式前日、柴田は「2度あることは3度ある」といった。悔しさだけが残った過去の2度の敗戦が尾崎の脳裏に浮かんだ。

~一挙4失点 15歳尾崎が味わった1年前の屈辱~

 初めての対戦は前年60年夏の2回戦だった。尾崎は1回戦で前年覇者の西条(愛媛)を相手に6安打2失点の完投勝利を挙げている。このときまだ15歳。1学年400人中、300人が野球部入部希望者という伝統校。その中から大抜擢された1年生エースが重圧をはねのけ夢舞台2勝目を目指していた。一方の法政二は前年も出場(1回戦で敗退)。柴田も1年生ながら聖地のマウンドの経験もある。試合は尾崎―柴田の投げ合いで7回まで両校無得点。8回、尾崎が法政二打線につかまり一挙4点を失う。浪商打線は柴田の前に散発3安打零封負け。柴田は「ほとんど思い通りに投げられた。文句無しに満点です」と余裕の笑みを浮かべ、その勢いで初優勝を飾った。

 翌61年春、尾崎は再び甲子園に帰ってきた。1回戦の日大二(東京)からフルスロットル。6安打を許したものの無四球。三塁を踏ませない投球で17個の三振を奪い完封した。大阪対決となった2回戦明星戦でも延長10回4安打14奪三振の完封。最高の状態で準々決勝へ進出。待っていたのは法政二・柴田だった。再戦。先制したのは浪商。2回、内野安打と盗塁でチャンスを築き金井の中越え三塁打で1点を奪った。だが柴田は追加点を許さない。攻め切れなかった浪商は5回に守りのミスが出た。是久の打球を遊撃・金井がはじく。尾崎は2死まで踏ん張ったが、7番・長島の打球は二塁手の手前で高く弾むイレギュラー安打。同点とされる。続く内田に左前へヒットエンドランを決められる。これを左翼手がファンブルする間に一塁走者・長島がホームイン。不運と拙守。逆転を許した浪商に追撃する力はなかった。5安打11奪三振、失点3、自責点は「1」。尾崎の春は終わった。法政二は準決勝・平安(京都)決勝で高松商(香川)に快勝し夏春連覇を難なく成し遂げた。

~1回戦浜松商15奪三振 銚子商、中京商も蹴散らした~

 尾崎は夏を待っていた。「打倒法政二・柴田」を誓って乗り込んだ尾崎の2度目の夏。1回戦浜松商(静岡)の打線に食い下がられながらも15奪三振の完封。2回戦は古豪・銚子商(千葉)を撃破。8強に進出した。大会8日目、8月18日準々決勝の第1試合は法政二が柴田の4打点の活躍などで圧勝した。試合後、翌9日目の準決勝組み合わせ抽選が行われた。4強に一番乗りを果たした法政二の相手は準々決勝第2試合の勝者となった。第2試合は「浪商VS中京商(愛知)」尾崎の血が沸き立った。勝たねば…。浪商打線は20安打14得点の猛攻。尾崎は6回9三振でマウンドを降りた。法政二との決戦に備えたベンチの指示だった。

~2点を追う9回2死満塁 尾崎執念の同点打~

 3度目の「宿命の対決」は9回を迎えていた。浪商の攻撃は1死一塁から、後に阪急入りする大熊の当たりは二ゴロ。併殺で万事休すと思われたが二塁手が弾いて二塁封殺のみ。一塁に走者が残った。次打者はこれも阪急入りする住友。食い下がって中前打。続く前田の三塁線内野安打で満塁となった。打席には5番・尾崎。柴田との「直接対決」。これ以上の舞台設定はない。カウント2―2。柴田のカーブを叩くと打球は快音を残して三遊間を割った。大熊に続いて住友が還ってきた。土壇場の同点。浪商が息を吹き返した。

 後に柴田はスポニチ本紙連載「我が道」でこの試合の終盤を振り返っている。「右肩が重くベンチで消炎薬を塗ってもらっていた。8回まで1安打に抑えていたが限界だった。もし浪商に勝ったとしても決勝戦は投げられなかったと思う」。延長に入ると柴田の球威は落ち、浪商打線が勢いづいた。

~ダメ押し犠飛も尾崎 悲願の大旗も3カ月後に…~

 11回併殺崩れの間に勝ち越し、さらに1死一、三塁から尾崎がダメ押しとなる右犠飛。3度目の「宿命の対決」は尾崎が制した。3季連続優勝の夢が散った柴田は「カーブが真ん中に入ってしまった。みんなに悪いことをした。勝ちたかった」といったが涙はなかった。

 死闘を制した尾崎は決勝で桐蔭(和歌山)を3安打13奪三振で完封。悲願の甲子園Vを果たした。

 「うれしくて、うれしくて夢みたい」。類いまれな馬力で三振の山を築いてきたエースが16歳の少年に戻って笑った。勝ったチームが甲子園Vをつかむ史上最高の「宿命の対決」は終わった。

 尾崎には夏春夏の3季連続優勝の期待が高まったが秋季近畿大会大阪予選の決勝で勝利した翌日の11月6日に退学届を提出。プロ野球、東映に入団した。高校2年生、17歳2カ月の決断だった。

 柴田は卒業後、巨人入り。プロの舞台での「宿命の対決」は1965年7月19日のオールスター第1戦。全パ3番手・尾崎(東映)と全セ2番・右翼の柴田(巨人)が対した1打席のみ。結果は「三邪飛」だった。

~大熊は阪急V戦士、高橋善正、木俣達彦もいた~

 <昭和36年夏の甲子園に出場した主なプロ選手>尾崎のライバル柴田勲は巨人入り。野手に転向し、2018安打で名球会入りする。投手では尾崎、柴田とともに「剛腕三銃士」と呼ばれた山中巽(中京商)が中日に入団。3度の2桁勝利を含む通算61勝。山下律夫(松山商)は近大を経て大洋ドラフト1位。高橋善正(高知商)も中大を経て東映1位。捕手では木俣達彦(中京商)が中日一筋1876安打。槌田誠(倉敷工)は立大で東京六大学3冠王、巨人に1位指名される。浪商の大熊忠義は阪急の不動の2番として1073安打。池辺巌(海星)は大毎入りし1377安打。浪商1年生の高田繁は明大を経て巨人1位。V9戦士として1384安打を記録する。

 【昭和36年出来事】1月=ジョン・F・ケネディ米国大統領就任 2月=赤木圭一郎事故死 10月=大関・柏戸と大鵬が横綱に同時昇進▼プロ野球=セ巨人、パ南海▼ヒット曲=「上を向いて歩こう」「王将」「スーダラ節」

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